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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・64・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・7・・
ところが、お任せすることは他者に自分を委譲することであり、その限りにおいて他者を自分よりも優れたものとすることでありますから、こういうことに承服できない人がいます。何でも自分でしなければ承知出来ない人です。が、委ねるべきことを委ねないなら、そういう人は、自分一人のままで終わるかもしれません。助けようと伸ばされている手があってもはねのけている人は自分のちっぽけな限界の中に留まって終わりです。自業自得とはこのことを言うのでしょう。
こういう人は、大局に照らしてことを見ることが出来ない「井の中の蛙」に匹敵する人と言えましょう。こういう人にとって必要なことは、他者に委ねようとしない自分を一度殺すことです。そういう自分に死ぬことです。昔から「大死一番」ということが言われてきましたが、それは死ぬべきものについてはしっかり死ぬことの大切さを説いた言葉だと思います。死ぬべきは、今までの自分なのです。その自分を葬り去らないままでいる以上、旧態依然でしかないのです。
パウロは復活のキリストに出会って「目から鱗のようなものが落ちた」と言っていますが、キリストとの出会いによって、今までの自分を葬り去るべき自分であることを翻然と知られたということでしょう。考えてもいなかった大局のあることを知らされて、今までの自分ではなく、この大局の中に生きる自分とされていることを知ったことが、「キリストと共に葬られ、その死にあずかる者となった」と言っていることであり、それに続いて「それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためです」と述べていることで、復活は、死あってのことであります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年4月のラジオ放送予定>
4月 1日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
8日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
15日 畑 雅乃 (日本基督教団金城教会牧師)
22日 畑 雅乃 (日本基督教団金城教会牧師)
29日 田口博之 (日本基督教団名古屋教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」