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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・5
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへ時間」ラジオ説教者)
5 初祈祷会
この小会堂で日本人最初の祈祷会が開かれたのは、篠崎桂之助と言う英学塾の学生の発案によるものであった。篠崎は当時横浜在留の外人信徒が新年に初祈祷会を開いているのをみて、自分たちも初祈祷会を開きたいとバラ先生に申し出たのである。その間の事情についてバラ先生の話を記した文面によると「横浜の石造りの小会堂は日本第一のリバイバルのあった所、篠崎桂之助は親切な愛心のある青年、私の所に来て一時貸してくれ(小会堂の一室)と言う。何をするのかと聞くと祈祷会を開くと言うので貸した。旧正月2日祈り会を開く、 私も一緒にやった。イザヤ書32章13~15節を読んだ。小川(義綏よしやす)さんが祈った。続いて他の人が祈った。三ケ月続いてもやまぬ。3月10日9人洗礼をした」(横浜海岸教会百年の歩み12頁)。
「公会日誌」第一の最初の頁を見ると、
「明治五壬申歳正月元日
二日 今日ヨリ聖書使徒行伝講義始マル、バラン師出席 前後祈祷有之
三日 即安息日朝九字集会祈祷畢(おわ)リ、バラン師使徒行伝講義畢リ祈祷、11字散衆 昼後三字バラン師ノ馬太伝講義聴衆四十余畢(リ祈祷シ聖晩餐守之 五字散衆 夜山四十八番八字集会 馬太伝講義 バラン師出席 聴衆凡四十余名祈祷シ畢リテ九字散衆ス」
とあり、バラ先生は使徒行伝のペンテコステの章を熱心に講義し「されど遂
には霊うえよりわれらそそぎて、荒野はよき畑となり、よき畑は林のごとく
見ゆるとき来らん」(イザヤ書32章15節)と黒板に書いて祈った。
こうして祈ったことのない青年たちが、次々と祈り出し、霊溢るるが如く、
或る者は泣き、或る者は感激の声を発して尽きることを知らず、バラ先生を
驚かした。
祈祷の集会が連日同じように開かれて2月2日に至った(新暦3月10日)。
二日 即安息日朝九字集会祈祷 バラン師出席 十一字散衆 昼後三字集会祈祷 バラン師 馬太伝講義畢リ洗礼ノ者九人アリ 長老ノ撰アリ 小川当撰ナリ 即チ、ブラウン師、バラン師手ヲ按テ授ク 山四十八番ノ婦人三人外ニ信者二名会シ聖晩餐共ニ守リ五字半散衆 夜山四十八番へ集会 バラン氏馬太伝講義 聴衆凡四十余名 九字散衆」と以後、
安息日には聴衆五十名ほど集まった。
この文章は、月刊「つのぶえ」からの転載で、つのぶえ社から許可を得ています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」