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小閑記
あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである。
~ルカ21:3~4~
旧約では神殿が神の家であり、新約では神に従う人々を指します。神殿の献金箱や、そこに入れるささげ物は、神に、何をささげるべきかを示しています。このささげ物によって、神の家を建て、霊によって、神の住居となるのです。
主が弟子たちに献金箱の傍らに立って、有り余る物の中から献金する者や、生活に必要なものまでも、全てささげた婦人を見るように命じられたのは、正しい献げる心を教える目的があったと思われます。
さて、キリスト者は神様にどれくらいの財産を、差し上げるべきでしょうか。
重役聖書にある十一献金でしょうか。それは持ち物ばかりではなく、キリスト者は持っているすべて、キリスト者の全てをささげるべきであります。しかし、これはキリスト者は何物をも所有してはならないということでしょうか。キリスト者は文字通りあの婦人のしたようにしなければならないのでしょうか。体と生活を支えるのに必要なものをささげなければならないのでしょうか。
そうではありません。それは神様のお教えになられたことではありません。しかし、キリスト者は所有者としてではなく、神様の僕として行わなければなりません。キリスト者は自分の所有するすべてを、神様に対して、責任を持つ者として取り扱わなければなりません。自分と他の人々の利益のため、神様のご栄光のために。
支配人は所有者ではありません。キリスト者は、神様より賜る様々な恵みの支配人として任ぜられた者です。支配人=キリスト者は神様から受けたものすべてを差し出さなければなりません。持って生まれた才能、恵みの賜物、地上的な財産、社会的な地位、これらすべてを持って神様に応答し、神様にささげる者は何と幸いなことでしょう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」