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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・6
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
6 横浜公会の創立・・・1・・・
「公会名簿」によると、洗礼者9名とは左の者であった。
1 竹尾 緑郎 (静岡の人) 海岸教会初代執事
2 篠崎桂之助 (静岡の人) 幕臣の子
3 安藤劉太郎 (三河の人) 僧侶・諜者
4 進村 漸 (伊予松山の人) 藩医の息子
5 押川 方義 (伊予大洲の人) 藩士
6 吉田 信好 (伊予松山の人) 藩士
7 佐藤 一雄 (東京) 士族
8 戸波 捨郎 (横浜)
9 大坪正之助 (横浜) 小川義綏(よしやす)夫人の弟
その結果、1869年(明治2)タムソン宣教師より受洗した小川廉之助(義綏)を長老に選び、翌年(明治3)長崎でウムソン宣教師から仁村守三を執事に選びバラ先生を牧師代理として、ここに日本最初のプロテスタント教会である横浜公会は、11名の会員をもって創立したのである。さらに1872年(明治5)3月21日(陽暦4月28日)、バラ先生による第2回の洗礼者があった。
公会日誌によると
「二一日、即チ安息日受洗六人アリ、執事ノ選アリ、竹尾コレニ当リ、即チ、プラオン、バラン師手ヲ按テ授ク、其他前安息日ノゴトシ」とあり、受洗者は左の者であった。
1 杉山 孫六 (静岡) 旧幕臣土屋孫六の兄
2 熊野 雄七 (大村) 士族
3 桃江 正吉 僧侶、諜者 正木 護
4 朽木 鑑 (福知山) 福知山藩士の弟
5 伊藤 友賢 (仙台) 医師
6 湯浅久兵衛 (仙台) 商人
日本基督公会の初期の受洗者の中には、キリスト教排撃のため、スパイが潜入していた。
1 仁村守三は本名を香川実玄といひ、広島の真宗の住職をして居り、長崎でエンソ―宣教師に取り入ってクリスチャンを装い、横浜公会で最初の執事に選ばれたが、仏教側からの密偵であることが判明した。
2 安藤劉太郎は明治政府から、上等諜者として、月二十両の手当を受けて内命をうけてキリスト教探索に従事いていた東本願寺派の僧で、猶竜(ゆうりゆう)と言い、横浜地方「異宗探索」を担当していた。
3 桃江正吉こと諜者正木 護も破邪護法の僧侶で光永寺隆瑞の偽名であった。月十両の下等諜者として活動した。
正木が長崎から東京に出て諜者となったのは、明治4年の冬で、政府から内命を受けて、諜者として活動した。その活動記録によると、
「然ルニ昨冬出京ノ内命ヲ蒙リ即当港ニ在留シ、バラ、ブローン、フロエン、女ビヤルソン、女ルーム、女キダ等ノ耶蘇教師ニ立入、旦暮馴近シ、真ニ彼等ガ宗徒ト偽リ、宗則ヲ護リ祈祷ヲ唱ヘ、住々死地ニ入テ之ヲ捜索ス」と、その実態を報告している。
彼は、ミス・ピアソン宣教師の弟子となって、1873年(明治6)春から東京築地カロゾルス宣教師の鉄砲洲六番書庫の店員となりすまして、出入りする者を日誌に筆記して上司に密報していた。今日、彼の諜報記録は微に入り細に亘って、当時のバラ先生や他の宣教師たちの伝道活動を知りうる貴重な文献となったが、当時、こうしたスパイたちの中にあって、真剣に福音を日本人に提供するために戦ったバラ先生たちの苦心を、今にして思うのである。
さらに、この正木の諜者報告書中、バラ先生の状況を記したその個所を借記すると、
「三月七日安息日、バラノ教会追々人数増シ、学校ニテハ狭キニ付海岸三九番 元ト ヘボン療治所ヲ借リ、耶蘇の晩餐ヲ行フ、此会中ニ米国耶蘇教師、凡ソ年令六十余斗ノ者来リバラニ通弁ヲ頼ミ 公会ノ長老小川廉之助ニ語テ云、 我支那ニ入テ教ヲ弘ムルコト二四年ノ久シキニ及ブ、故ヘアリテ昨今此地ニ来ル、遠カラズ復 支那ニ往クナリ 借テ爾等此教ヲ信ズルコト厚クシテ 此国ニ盛ンニ弘メントスル由、大慶ノ至リ、大ニ真神ノ意ニ契フヘシ 益信心ヲ堅固ニシテ 弘教ニ尽力スベシ、然ルニ 我 二十四年前 支那 フチヤウ ト云処ニ行ク 此処天津ノ近クニシテ 凡人員五十万斗ノ土地ナリ、初テ礼拝堂ヲ建ルニハ 日本ノ先生ヲ頼ミ外国ノ金ニテ立ルナリ、凡ソ九年間教ヲ布フクト雖モ更ニ一人モ聞モノナキ耳ナラス 家サヘ借サヌ程ノコトナリ、其中チ追々ニ開ケ、一年ニ一、二人ツツ道ニ入ルモノアリ、
初ノ公会ハワズカニ、三、四人ナリ、然ルニ近方ノ田舎ニ 千五百口斗ノ邑アリ 此処ヲ勧ルニ凡ソ公会ニ入ルモノ 三百五十人余出来タリ 夫ヨリ漸々ニ弘マリ 今日ニテハ洗礼ヲ受シモノ七千人ニ余ル 是ハ支那フチウ ノ話ナリ今 爾等ニ天下ト耶蘇ノ名ニヨリテ命シ度事アリ 此 教ヲ盛大ニ弘メント思ハバ、此横浜ノミニテ勧ルヨリ早ク 方々ニ出、田舎間ヨリ重ニ開クベシ云々 此話ヲ聞キバラ 長老諸弟子等大ニ喜ベリ、
バラ学校ノ公会日々盛ナリ ビヤルソン学校バイブル生盛ナリ ビヤルソンしゅ学校ノ夜会、日曜日 水曜日一周ニ二夜ズツナリ 邑ニ 二月三十日ノ夜会?アマリノ群集ニテ書生ノ帽子、洋傘等種々品物紛失スルホドノ繁盛ナリ。
来ル二十一日安息日ニハ ビヤルソン書生ニテハ、静岡県下杉山孫六、大村熊野安次郎ノ両人バラ書生中ニ、三、四人、小川廉之助妻 大坪正之助妻 当地大村 徳嶋屋久兵衛 奥州伊東某等授洗ノ義ソ相決候 尚巨細捜索ノ上追々可申上候 三月 正木 護」
(幕末明治耶蘇史研究 小沢三郎著288頁)
月刊「つのぶえ」からの転載で、つのぶえ社から許可を得ています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」