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解説 ウエストミンスター信仰告白(69)
岡田稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第32章 人間の死後の状態について、また死人の復活について
・・・1・・・
1 人間のからだは、死後、ちりに帰り、朽ち果てる(1)。しかし彼の霊魂は(死にもせず、眠りもせず)不死の本質をもっているので、直ちにそれを与えられた神に帰る(2)。義人の霊魂は、その時に完全にきよくされ、最高の天に受け入れられ、そこで、彼らのからだの全きあがないを待ちながら、光と栄光のうちに神のみ顔を見る(3)。また悪人の霊魂は、地獄に投げこまれ、大いなる日のさばきまで閉じこめられ、そこで苦悩と徹底的暗黒のうちにあり続ける(4)。聖書は、からだを離れた霊魂に対して、これら二つの場所以外には何も認めていない。
1 創世3:19、行伝13:36
2 ルカ23:43、コヘレト12:7
3 ヘブライ12:23、Ⅱコリント5:1,6,8、ピリピ1:23、行伝3:21、エペソ4:10(*)
*ピリピ1:23を行伝3:21、エペソ4:10と比較
4 ルカ16:23,24、行伝1:25、ユダ6:7(*)、Ⅰペテロ3:19
*ユダ6,7が正しい。
一 これは死後から復活までの中間状態と呼ばれる事柄で、次の点が主張されている。
① 霊魂の不滅性と自覚性。
② 肉体がちりに帰るように、霊魂は神に帰る。しかし、それは肉体の素材が土であるというのと同じ意味で、霊魂が神の一部だとか、神と同質だとかいう意味ではない。むしろ、肉体が霊魂を離れた瞬間、置かれている場所が地上であると同様に、霊魂の入る場所は神のいます霊界であるという意味にとるべきであろう。
③ この神のいます場所(あるいは神の直接の支配下)は二つに区別され、一方は天の国、他方は地獄と呼ばれているところで、どちらも地上あるいは、この世とは異なるところである。復活後の神の国また地獄は、この世と場所的にも時間的にも異なる永遠的世界であるが、ここに言われている天(パラダイス)と地獄(ヘル)は、時間的には異なる世界と見なければならない。
④ この二つの区別のある世界へは、死後直ちに入るために、このうちのどちらかに入るかは、まったくこの世という共通世界での人間の全態度がこれを決定する(これはアルミニアン的な意味で言うのではない)。その人をどちらに入れるかは、まったく神の意志によることであるが、人の地上生活のみが、神の提示した救いと滅びとに関係する条件を満たすか犯すかについて決定する機会であることはコリント人への第二の手紙5章10節で明言されている。世界と言うのは、場所でありまた状態の意味でもある。とくに霊魂については後者と考えたい。
2 終りの日に生存している者は、死を味わわないで変えられる(1)。死人はみな異なった性質をもってではあるが別のものではない全く同じからだをもってよみがえらせられ、彼らの霊魂に再び永久的に結合される(2)。
1 Ⅰテサロニケ4:17、Ⅰコリント15:51,52
2 ヨブ19:26,27、Ⅰコリント15:42-44
二 これは死者のよみがえりと呼ばれるときのことについてで、終わりの日は主の大いなる日とも呼ばれる。これは、いくらかの予兆が現れた後ではあるが、長い期間に成立する事柄ではなく、瞬間に起こる変化であると考えられる。それは、生存者にとっては「変化するとき」であり、死者にとっては「復活のとき」である。また、このことの後には、救われた者は生存者も死者も区別のない「新人類」の一員となるものと考えられる。
すなわち、復活後の自分の肉体は、死ぬ前のもの、あるいは「変化する」前のものと性質は変化はしているが、別物ではないし、霊魂(現代的には、人格と言う概念がぴったりする)も、同一のものでありながら、罪ある状態から聖化された状態に変わっている。そしてこの新人類こそ栄光化された姿である。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」