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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・66・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・9・・
注意したいと思いますことは「イエス様に出会った」と言う人は、皆喜びに満たされた顔つきでおられることです。人生の終末期においても、感謝や賛美の言葉を発せられることです。キリストの復活を信じることを、幻想に取りつかれているとの評を受けることであっても一向に差し支えないことであると私は思っています。逆に「幻想でないと分かったら、あなたの人生の実はどうなりますか」と問われることになりはしないでしょうか。
椎名麟三の作品の一つに「美しい女」というのがあります。その女というのは、作品中の男の主人公の生活の場面にひょいひょいと現れる、というのです。例えば、何かのことで気が滅入っていて、屋台の店に首を突っ込んで杯を傾けている時に、ふと見ると「美しい女」がそこにいて、自分の方を見ているのに気付く、するとその途端にその女の姿がすっと消えてしまうというのです。
そのようなことは、ほかの人には全然気付かれていないが、自分には何となく心が楽しくなるようなことである、というようなことが筋書きの作品ではなかったかと記憶しています。この「美しい女」とは誰のことかと言いますと、この作者の作風から推して、「復活のキリスト」であるといえるように思えます。それというのも、椎名麟三の人生を支えていたものが復活のキリストであったといわれているからです。
復活されたキリストが、弟子たちに現れて最初に言われたのは「シャローム」という言葉でした。これは、日本語では「こんにちは」に相当する日常の挨拶語ですが、ヘブル語では「平安であるように」とか「平和であるように」とかいう意味の言葉です。それは、キリストの弟子たちが、キリストの弟子であることが知られることによって捕らえられたり処刑されたりすることを恐れていた時に、また、先生であるイエスが捕らえられた時、自分たちも一緒に捕らえられることを恐れて逃げてしまった自分たちであったため、その先生には大きな負い目を覚えていた時に、キリストの方から「平安があるように」との声をかけられたことでしたから、これは、本当に大きな平安を得、喜びを得たことであったに違いありません。この後の弟子たちの全行動は、この復活のキリストとの出会いに拠ってなされるものとなりました。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年6月のラジオ放送予定>
6月 3日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
10日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
17日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
24日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」