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『バラ・マカルピン 日本伝道百年史』・・8・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへ時間」ラジオ説教者)
7 バラよりの受洗者・・2・・
バラ先生よりの受洗者を表記すると、次の表のようになる。
横浜海岸教会関係
バラ師授洗者表
自1874年(明治7年)
至1903年(明治36年)
年代 男 女 計 備 考
1874 32 24 56 星野光多 山本秀煌
(明治7年) 下岡蓮杖 川藤鉄弥 受洗
1875 35 18 53 坂野嘉一 受洗
(明治9年) 19 21 40
1877 9 8 17
(明治10年)
1878 4 1 5 バラ師海岸教会仮牧師辞任
(明治11年) 休暇帰米
1880 7 5 12
(明治13年)
1881 23 6 29 内2名 名古屋にて受洗
(明治14) 内4名 岡崎にて受洗
1882 4 10 14
(明治15年)
1883 1 1 名古屋にて受洗
(明治16年)
1884 1 1 2 静岡にて1名 三島にて1名受洗
(明治17年)
1885 1 1
(明治18年)
1886 1 1 2 横須賀にて受洗
(明治19年)
1889 1 1 2 内1名三島にて受洗
(明治22年)
1894 6 6
(明治27年)
1903 9 1 10
(明治36年)
合計 152 98 250
本表は横浜海岸教会の会員名簿にのせられたバラ先生関係の名前であるが、先生はほかにも地方伝道されて洗礼を授けられ、入信した者もかなりの人数に達するであろう。
明治7年(1874)の受洗者からは、次の者が輩出している。
山本秀煌 牧師 キリスト教史学者、明治学院神学部教授
星野光多 牧師
下岡蓮杖 わが国写真技術の元祖、牛乳屋の元祖、ペルリ黒船の最初の発見者
川藤鉄弥 肥前大村の藩士、牧師、バプテスト教会最初の日本人牧師となる。
バラ先生は日本基督公会の設立に、最も努力された人であった。長老制度に
則り、教派偏重によらない日本の独立自治の教会を建設しようとしたことには、多くの苦心配慮があった。
「我輩の公会は宗派に属せず、唯主耶蘇キリストの名に依りて建てる所なれば、単に聖書を標準とし、是を信じ是を勉る者は皆是キリストの僕、我等の兄弟なれば、会中の各員全世界の信者を同視して一家の親愛を尽くすべし、是故に此の会を基督公会と称す」(第二条例公会基礎)と公同教会の具現を期したものであった。
しかしながら1873年(明治6)2月、切支丹禁札の撤去によって、英・米から教派による宣教師の来日が盛んになり、無教派的日本基督公会は苦慮に立たされるようになった。時に1874年(明治7)4月19日、神戸公会が設立。続いて5月24日、大阪公会が設立されて無教派的公会主義に希望が与えられたが、翌1875年(明治8)3月、神戸公会は公会の一致と合同は親睦・交諠にとどめ、政治的な一致はこれを非とするとの意思表示をした。
これに驚いた横浜・東京の両公会は、3月7日、バラ先生と奥野昌綱の二名を代員として神戸に派遣し、阪神の代表デビスと新島 襄の二名と会合、協議したところ、阪神の二公会は組合派のアメリカンボードより援助されて設立したものであり、個々公会の独立主義を主張して、政治上の合同を否としたことによって、当時存在した日本の四公会(東京、横浜、大阪、神戸)の一致合同は、個々に破綻をきたしたのであった。これは、バラ先生にとって大きな苦杯であったと思われる。
阪神の公会派が明治7年10月の東京、横浜公会との会合で、公会条例案に賛成してその無教派主義の合同一致は、可能と見えたのに、突如変貌して無教派主義に走った背後には、明治7年11月末に米国から帰った新島 襄の意見が、阪神側を説得したもののようで、「組合派合衆政治は外国教派との提携によって日本教会の進展を期すべし」、との考えが強く押し出された結果と思われる。
その後日本のキリスト教は、教義の共通した教派が分立するの愚を悟って、改革派ミッション、スコットランド長老派ミッション、日本長老派教会の三者 によって、1877年(明治10)10月3日横浜海岸教会で、日本基督一致教会を組織した(参加教会は日本基督公会4、長老教会5の計9、信徒623名)。
1875年(明治8)7月10日、横浜海岸教会の建築が成り、この日献堂式が行われた。これはバラ先生の手による、日本での最初の日本人教会で総費用1万ドルの立派な会堂であった。その献金の内訳は、
1 ハワイの基督者及び英人商人 1000ドル
1 米国公使 タウンゼント・ハリス氏 1000ドル
1 ロバート・ブライン氏(ハリスの後任) 500ドル
1 バラ先生の米国講演及び貯金 2500ドル
1 隣接家屋の家賃貯金 4500ドル
1 寄付金利子 500ドル
計 10000ドル
1 米国リフォームド教会寄付、教会堂窓色硝子
1 教会の鐘 ガラット・カワンホーヘン氏寄付
1 その他 什器、教会用品、オルガン(パイプ)などが内外人より寄付された(この会堂はまた外国人のユニオン・チャーチとしても使用された)。
教務は進展して、その後、再び会衆は会堂に溢れるようになった。
*月刊「つのぶえ」からの転載で、「つのぶえ社」から許可を得ています*
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」