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『小閑記』
わたしたちが信じるのは、もうあなた方が話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救い主であることが、分かったからである。
~ヨハネ4:42~
今はあまり使われない言葉に「芒種(ぼうしゅ)」というのがあります。種まきや田植えなどで農家が忙しくなる頃のことをいうのだそうです。
「つのぶえジャーナル」をお読みの皆様の上に神様のお恵みが豊かに与えられますように、お祈りいたします。
私たちがキリストとの出会いを、少し考えてみようではありませんか。私たちは直接お目にかかることも、そのお声を聴くことなどできません。しかし、他の人々が話してくれたので知り、信じたのです。子供たちの信仰の継承は、両親や親が信じているから信じ、教会学校で教わったから理解するのです。
では信仰はどうでしょうか。それが役立ち正しいから信じるのです。近くに信仰に生きている人を知ることは有益で、感謝すべきことです。しかし、子供たちや若者が、生涯でもっとも尊い「若き日(時)」にそれを経験できた幸いは宝です。時に拒み、あざけることもありますが、心に刻まれたみ言葉は決して消え去ることはないのです。
キリスト者の務めは明白です。ただ人々をキリストの元に連れて来ることです。そのためには、語り、聞かせ、証ししなければなりません。一度に完成させることは不可能です。「続けること」。伝えることを学ばなければなりません。信じていなければ出来ません。
聖書の中にあるスカルの人々をイエス様のもとへ連れて来たのはその信仰であり、彼らの経験によって、主を救い主として知らしめたのです。私たちが十分に完全でなくてもそれを用いることです。知らない人々に伝え、知らせることです。自分自身が導かれたように導かれることを期待し、信じて待つことです。与えられている救いの恵みを、喜びとして証しすることです。それを見た人は、あなたがそうであったように、キリストを知りたいと思うようになるのです。
遅過ぎることは決してありません。今がその時なのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」