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『今月のことば』
なぜなら、キリストの愛が私たちに強く迫っているからである。私たちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
~第二コリント~5:14~
いつの時代でも「愛」という言葉は、その意味することはいろいろでしょうが輝いています。
聖書から考えてみましょう。
神の本質は愛です。そしてキリスト教の本質もまた愛です。神がその子供らに、ご自身の持っておられる性質をお与えになりました。
愛は私たちの心に、信仰と聖霊とによって産みつけられます。それは、私たちがまず神を愛したという意味で、生じたものではありません。私たちを愛して、そのみ子を私たちの罪の贖いとしてくださったのは、神です。
それは私たちの大きな幸せでした。もし、そういう計画でなかったらば、私たちは決して神より来る愛で愛するということに、到底、達することはなかったでしょう。
しかし。この美しい宝に目を向けて、受け入れる人は、神を愛することを学ぶのです。愛する者は、神より生まれたのです。
神様から信仰を賜ったキリスト者としての私たちの大きな務めは、この愛を私たちの命の中に、もっと取り入れることです。私たちがキリストの愛にだんだんと深く導かれるのでなければ、聖化への私たちの努力はすべて、白く塗った墓になるでしょう。
パウロは言いました。この成長への道はゴルゴダを通るものだと。霊において、そこに立つ時、一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだという真理が明白にされました。パウロがそこで見た愛は、パウロを強く捕らえて、その生涯を私たちすべてのために死んでくださった方に、捧げさせたのです。パウロはもはや自分のために生きようとは願わず、私たちのために死んで、また生きた主のために生きりことを願うのです。
神様、願わくばカルバリの丘の上に見出すあなたの愛を、この身にお与え下さい。そうすれば、私たちの生涯は喜びと、奉仕する愛の実を結ぶでしょう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」