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「キリスト教百話」
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・13・・
この文章は、テサロニケ教会の中に、復活を信じないという人がいたことと、「主は近い」と言ってキリストが再び来られる(再臨)日が間近に迫っていいるというのが、その時生き残っているわれわれはどうするのか、という質問に対して答えたものと言うことができます。しかし、この文章表現は、まだ起こっていないことをあたかも既に見たように書いているわけですから、詳細に語れば語るほど、逆に「本当かな」という疑問が出てくるのを禁じ得ません。
この手紙を読んだ人たちは、これをパウロがこう言ったから「はい、そうですか」と素直に信じたとすれば、パウロに対する信頼度が深かったせいかと思いますが、わたくしにはどうしてこういうことが言えるのか、単なる幻想か主観に過ぎないのではないかと思えてなりません。
ただし「読む者は悟れ」ということであるなら、納得出来ます。それは、復活ということは、どういう説明をするにしても、一つの説明でもって集約されることではなく、どんな風にも説明できることであって、パウロもパウロなりの苦労をしながら、彼の表現の仕方で説明したのだと受け止めればよい、ということです。
ですから、復活ということを、このパウロの説明だけに限ると言ってこれに固執するなら、その一方的な偏りには同意し得ませんが、復活という言語表現では言い尽くすことができないことを言語で言い表そうとしている努力の一つであるなら、これはこれとして受け止めて良いと思います。むしろ、様々な仕方での説明がなされることの方が、復活信仰に生きる命の多様性を示すこととして受け止めて良いのでないかと思います。
以上の考えに基づいて讃美歌の歌詞を読むと、復活信仰の表明が実に多彩であることを改めて思わされます。その幾つかを揚げてみます。
489番1 清き岸辺にやがて着きて、天つみ国に遂に昇らん。
その日数えて玉のみ門(かど)に、友もうからも、われを待つらん。
やがて会いなん、愛でにし者とやがて会いなん。
3 親は我が子に、友は友に、妹背相会う父のみもと。
雲はあとなく霧は消え果て、同じ姿共に写さん。
やがて会いなん、愛でにし者とやがて会いなん。
よく「天国でまた会いましょう」か「向こうで待っててね」など言うことがあります。向こうにいる人は何億と数知れないのですから、どうしてそんなに会えると言えるのか、「あの人とは同じ墓に入りたくありません」という人に
とっては、向こう岸も別々が良いことになります。地上の彼方に「清き岸辺」があることや、彼方も地上も同じではないかと思うことも、どうしてそういう風に言えるのか、その確証があるか、と問われたら、返答に困るのではないでしょうか。
Ⅱ136番1 われ聞けり「かなたには麗しき都あり」
輝けるかの岸に、われは間もなく着かん。
「ハレルヤ」と歌いつつ、歌いつつ進み行かん。
わが足は弱けれど、導き給え、主よ。
3 われ聞けり「み冠と真白き衣を着け主を褒むる民あり」と、
われも共に歌わん。
「ハレルヤ」と叫びつつみ声聞きて喜びみ国へと昇り行かん。
わが旅路終わらば。
仏教では「極楽浄土」という世界があることを言いますが、この讃美歌に即して言えば、キリスト教では「麗しい都で、冠をかぶり真っ白な衣装をまとって神様をほめたたえている人々がいる輝かしい、かの岸」があることを歌うのですが、そういう世界や彼岸があるということの確証があるかというと、誰にも納得できるような説明は出来ません。妄想であり幻想に過ぎないと言われたら、それを跳ね返すだけの論理は残念ながら持っていません。
しかし、信仰というものは、そういう人間の側での確証によっているのではなく、人知を越えたところによっているものでありますから、各自各様自由にその表明が出来ますし、してよろしいわけです。復活についての証言も、その意味において、自由な多様なものであるのが当然であると理解してよいのではないかと思います。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年10月のラジオ放送予定>
10月 7日 木下喜也 (日本基督教団金城教会牧師)
14日 木下喜也 (日本基督教団金城教会牧師)
21日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
28日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」