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「キリスト教百話」
問23 聖書には、キリストは復活された後、天に昇ったと記されていますが、これはどういうことですか。
答・・1・・
確かに、聖書には、「復活後のイエスが、その後弟子たちの上に聖霊がくだることを告げられた後、弟子たちがみているうちに天に上げられ、雲に覆われて、弟子たちの目から見えなくなった」と記してあります。(使徒言行録1:8)。「天」という表現が地球の上方のことだとすると、キリストは空中の彼方からの引っ張り寄せる力を受けて上方へ昇ったということになりますが、こういうことがあり得るかと問われた場合、その問いが科学的実証をもとめてのことであるとすると、あり得ないとしか言えません。
しかし、聖書記者は、新聞記事を書くように見たこと聞いたことを書いたのではありません。早い話が「トンビが天上高く舞い上がった」とか、「隕石が天から降って来た」という場合の「天」は物理的空間を表す語として理解できます。しかし「天地」という場合の「天」は必ずしも上空のことを言うのではなく、また「地」が必ずしも大地をさすわけでもなく、むしろ「地上を超えた世界」とか「天の下にある世界」というように、即物的でないいささか抽象的な意味合いをもった言葉として用いられることがあるわけです。
そういう言葉の使い方から言うと、聖書の言うところの「天」というのは「神のおられるところ」であるのです。
ですから、キリストの昇天ということを、テレビの映像に現れるような視覚的なこととして捕えたり理解したりしようとするのでなく、むしろそういう表現をもって言い表そうとしている意味内容に即して考える方が、事柄の正しい受け止め方であるといってよろしいでしょう。
キリストの誕生を「降誕」と言いますが、それはキリストの誕生が、神の子が神の世界から地上の人間世界へと下ったことであったからです。そうすることが神の御心でありましたから、キリストの誕生の時、地上の反応よりも、先ず天の側に賛美の歌が奏でられたという聖書の記事の意味することであったわけです(ルカ福音書2:13~14)。
そういうことから言って、キリストの昇天は、地上の人となって来られた神の子が、今やその使命を終えたことによって、もといた場所へと戻られたことであったわけで、まことに当然のことであったわけです。その使命というのが、地に朽ち果てるしかない人間を、天に繋ぐために、それを阻んでいる罪の赦しを得させるためにご自分の命を捨てられたことによって全うされ、罪を告発する者にとどめをさす働きを貫遂されたのですから、神はイエスを陰府から復活させ、そして昇天という凱旋を行われたわけです。全地が暗くなるような神の子の十字架上の死という悲痛な出来事を通しての神の側の満足は、御子の昇天においてなされたと言えます。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年11月のラジオ放送予定>
11月 4日 高木 総平(岐阜済美学院宗教総主事・中部学院大学宗教主事)
11日 高木 総平(岐阜済美学院宗教総主事・中部学院大学宗教主事)
18日 志村 真(中部学院大学短期大学部宗教主事)
25日 西島麻里子(済美高等学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」