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世田谷通信(182)
猫草
この7月、福井まで出かけた。帰省以外で遠出をするのは10年ぶり。「学校の森子どもサミット」という全国大会があり、そこで里山と小学校の総合学習の様子を発表する。先生と児童に同行することになった。
長距離移動は緊張するのだが、児童と一緒だと仕事モードで乗り切れるのが不思議だ。福井駅前ホールでリハーサル、全国から集まった児童や先生方、北海道から鹿児島まで10校だ。それぞれの取組みはその地域ならではの特色を活かした活動で、地方の学校は児童数が少なく、サポートする大人の方が多い。周辺の森林資源が豊か。世田谷でできる取組みとのスケール感の違いが一番印象的だった。北海道の3m積雪の積雪でかまくら体験とか、岡山の木材一本を伐採から製材加工するとか、屋久島の世界遺産で希少種の蝶が食べる草を栽培するとか。すごいなあと思うけれど、なかなか真似できるものではない。
それでも子ども達に森林のことを伝えたいと思って、時間も労力も割いて実践する人たちの存在があってこそ成立している、というのはどの地域にも共通すること。豪雨等の被害を被った地域からも参加があり、たとえ被災地であっても子ども達には楽しい活動をさせたいという大人達の強い願いも感じられた。多くの人の手で支えられている。学校だけではできない取組みが子ども達を守り、育てていることに深く共感できた。
発表後はバス移動で三方湖近くに宿泊し、翌日は湖の水生調査やシジミ採り体験。ここでも地元の大学院生や研究機関、ボランティア団体のサポートあっての活動である。汽水湖のシジミは環境悪化により激減したので、山から土砂を運び、土留めのヨシを育成し、砂地を人工的に造成して、養殖物を育てて数年になるとのこと。子ども達は無邪気に歓声をあげながら「シジミあったー!」と嬉しそうに活動しているが、それを支える多数の大人達の知恵と汗がある。自分もボランティア側なので、見えない苦労はよく分かる。「あって当たり前」を続けていくためには、環境や生きものを維持する努力が不可欠なのだ。時々の変化を受け入れる力。常に環境は変化するから、それに合わせて柔軟に対応することが、「いつも変わらない」を保つのだ。
福井の山も湖も空も美しかった。変わらず、そこにあって欲しい。
(福井・シジミ採りをした久々子湖(くぐしこ)の写真)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」