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「キリスト教百話」
問24 キリストの再臨ということが言われていますが、それはどういうことですか。最後の審判あるとも聞いていますが・・・。
前にも触れましたが、キリスト教の信仰内容を要約したものとして「使徒信条」というものがあります。その中にキリストの昇天に続いて「かしこ(かの場所、すなわち全能の父がおられる神の右の座)より来りて、生ける者と死ねる者を審きたまわん」という一項目があります。
これは、聖書の中に、キリストが昇天されるのを見ていた弟子たちに、天の使いが現れて「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになる」言ったことにっ準拠している信仰内容であり、またキリスト自身が、ユダヤ人の最高法廷で裁判を受けられた時、「あなたがたはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と言われたことに拠っていることでありまして、」ローマ・カトリック教会にしてもプロテスタント教会にしても共通して信じていることであります(マタイ20:64)。
問題は、このキリストの再臨ということが、何時、どのようにして実現されるかということですが、初代の信徒たちは「主は近い」と言い、キリストが現れる時を「主の日」と呼んで、この日を待ち望んでしました。但し「近い」ということが時間的に短期間のこととして考え考えられているのか、それとも何万年という期間の中での比較としてのことなのかとなると、どちらとも決めようがありません。
「遅い」と思っていたことが予想に反して早く実現することがありますし、「すぐに」と思っていたことが相当待たされ、忘れたころに実現することもありますから、キリストの再臨については、キリストがその時期を決められることでありますし、しかもキリストにしても父なく神様の指示に従うことによって、時が決められているのでありますから、それに先走って人間の側であれこれ言うのは僭越至極であります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・
元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2019年1月のラジオ放送予定>
1月 6日 伊豆倉明美 (日本キリスト改革派関キリスト教会会員)
13日 伊豆倉明美 (日本キリスト改革派関キリスト教会会員)
20日 吉住 隆弘 (日本キリスト改革派豊明教会会員)
27日 吉住 隆弘 (日本キリスト改革派豊明教会会員)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」