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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・14・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
8 バラの伝道・・6・・
名古屋地方の伝道は、坂野嘉一氏談によると「植村正久氏の発起にして、ダッチリフォームドミッション其説を容れ、1878年(明治11)春、植村氏は山本秀煌氏と共に手を下し、数年の後、余(坂野嘉一氏)之を受け継ぎ、その後石原 量、南小柿洲吾、細川 瀏、笹倉弥吉の諸氏代る代る牧会の任に当たられ、以て今日に至れり、其の教会設立(筆者註明治17年5月3日)当時は岡崎、水野、津具地方の信徒合わせて33名、名古屋在住信徒の数は実に12名に過ぎざりき」(福音新報202号)とあり、また植村正久氏の談によると「その年(明治11年)10月頃に、此の名古屋の土地に伝道に赴いたが、どうも一向に伝道の事は出来なかった。幾ら説いても聞いて呉れる人はない。困りました。そうして此所に殆ど10ケ月居りました所、故障が起こりまして、東京に帰った」(明治26年名古屋に於ける日本全国基督教信徒福音同盟会員席上談)とあり、すでに、その頃、名古屋にはタムソン宣教師から受洗した(明治2年)判事の鈴木甲次郎(宮津藩士)が伝道に協力し、また、バラ先生の同地方伝道による求道者も多くあったと思われる。
それは植村正久氏がバラ先生所属のダッジリフォームドミッションの諒解の下に、名古屋に伝道したことによっても理解されるところであり、岡崎、水野(瀬戸近傍)、津具地方は、その後もバラ先生の伝道地域として巡回されたところである。奥三河から伊那谷の天竜川をさかのぼってよく伝道されたとも聞いた。
明治14年1月には、名古屋でバラ先生から受洗した林 ため、林 栄吉があり、続いて同月、岡崎で正村 基、石橋重則、河西 晋の3名がバラ先生から受洗した。(海岸教会会員名簿より)。この年、三島で20余名の洗礼者がバラ先生によって与えられた。先の名古屋地方伝道もバラ先生から受洗した坂野嘉一教師の出身地有松町に始まり、同じバラ門下の植村、山本両教師によって伝道されたことも決して理由のないことではなかった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」