[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
世田谷通信(185)
猫草
外壁の塗り替え。家も10年ほど経過すると直面する問題だ。とは言え、外壁なんて何の知識もない。というわけで、2社から見積もりをとってみた。項目も単価も違うのに、なぜか金額はほぼ一緒。こんなものなのかな、何を基準にすればいいんだろう・・説明で悪い印象はなかったのだが、決め手に欠けた。
3社目に話を聞いてみた。そうしたら「どういう風にしたいですか?」と「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉から始まった。
「どういう風にしたいのか?」と言われても、そもそも何色の壁か覚えていない。でもあちこち薄汚れてきた。小さなクラックがあちこち入っている。それらを綺麗にして、新築当時のような状態になればいいなあ・・とぼんやり思っている事に気がついた。
新築当時?いやちょっと待って。今の自分の顔をどんなに化粧品で塗っても、10代20代の肌には戻れないのだ。だって土台が違う。時間は巻き戻せない。そんなことは分かっている。なのに外壁に関しては漠然とその「できないこと」を求めていないか。まず、乾燥してシミもシワもある壁に、何を塗ったところでそれなりの結果だと認めること。ここがスタートなのだ。
「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉。色の印象というのも面積が大きいほど誤差が大きくなることに由来する。手の甲にちょっと付けてこんなもんでしょ、と選んだファンデーションを顔に塗ったら「あれ?」と思うのと一緒だ。それが家サイズになれば尚更だろう。
なるほどね、と「壁を塗り直すこと」の意味について少し納得したところで、昔読んだ本を思い出した。「赤毛のアン」シリーズ、第2巻「アンの青春」だ。公会堂の塗り替えをすることになり、アン達、村の改善委員は品の良い外観にしようと、屋根はこれ、壁はこの色と落ち着いた色を指定する。しかし、ペンキ番号の伝達ミスで、思わぬ派手な青い色に塗られてしまう。こんなはずじゃなかったと落ち込むアンに、「気にしなさんな、アン。たいがいペンキというものは、1年ごとに、いやな色になっていくものだが、あの青は最初からいやな色なんだから、さめていけば、かえって、きれいになるかもしれないよ。」と慰めるシーンがある。うちの外壁もそれぐらい、おおらかな気持ちで考えたいものだと思う。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」