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水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
8 バラの伝道・・8・・
1883年(明治16)、5月18、19日午後一時から東京の久松座(後の明治座)で、キリスト教大説教会が開催され、バラ先生は「イザヤの予言」と題して話された。金森通倫、コレル師、松山高吉、ノックス師、押川方義、小崎弘道、宮川経輝などが説教者で、この日には会衆二千名ほどで、翌19日には海老名弾正、稲垣 信、横井時雄、フルベッキ師などの説教があり、劇場の二階が落ちはしないかと危ぶまれて、丸太で支柱するほどの盛況で三千人が集まった。
この年、明治16年の初週祈祷会は明治5年横浜の初週祈祷会に始まったリバイバルの如くに信仰復興の機運はキリスト教主義学校や教会にまで起こり、数週間連続の祈祷会は燎原の火の如く上州、神戸、大阪、中国、四国、仙台地方にも伝わって、熱心な信仰者が多く生じたのである。
時代は文明開化の潮流に乗じて、この年11月には鹿鳴館が開館し、政治思想では自由民権運動で国内は沸騰していた時である。
同年11月12日、マルチン・ルーテルの四百年記念集会が木挽町の明治記念館で開かれて、バラ先生は、井深梶之助、稲垣 信、フルベッキ師、小崎弘道の人々と説教壇に立たれた。会衆は千五百人であった。日本における青年主体の運動が始まったのもこの年で、教会内で青年会の組織が計画され、ヤングメンの訳語として小崎弘道の発案で「青年」の訳語が生まれたのである。
バラ先生の伝道は変わることなく続けられたが、その伝道範囲もますます広くなって、とても改革派教会の宣教師だけでは伝道の責任を果たし得なくなって来た。来日当時の米国オランダ改革派教会の宣教師を記すと次のようである。
「宣教師名と夫人名」 来日年月日、備考
シモンズ(1834~1889) Simmons,Duane B、1859.10、神奈川横浜、医師
シモンズ夫人 Simmons,Mrs.D,B、1859.10
フルベッキ(1830~1898)Verbeck Guido Fridolin、1859.11.7、長崎、東京
フルベッキ夫人Verbeck Mrs. G,F(Maria) 、1859.11.7、長崎、東京
ブラオン(1810~1880)Broun,Samuel Robbings、1859.10、横浜
ブラオン夫人Broun,Mrs.S.R、1859.10、横浜
バラ(1832~1920)Ballagh,James Hamilton、1861.11.11、横浜
バラ夫人Ballagh,Mrs.J H(Margaret Kinnear) 、1861.11.11、横浜
スタウト(1838~1912)Staut,Henry、1868.2、長崎
スタウト夫人Staut,Mrs.H、1868.2、長崎
キダー女史(1838~1910)Kidder. Mrs.Mary Eddy、1869.1、横浜
ウォルフWolff.C.H.H、1871、弘前、東奥義塾
ウォルフ夫人Wolff.Mrs.C.H.H、1871、弘前、東奥義塾
へゲンバーグ女史Heguembourg,Miss,S,K,M、1872、横浜
写真・・・バラ宣教師の尽力によって建設された瀬戸永泉教会会堂
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」