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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・17・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
9 R・Eマカルピン来日・・1・・
こうした事情から1885年(明治18)にバラ先生は、米国の南長老教会外国伝道委員会宛に書簡を送り、日本伝道の急務と宣教師の足りないこと、米国オランダ改革派教会ミッションはその規模からいって、今、宣教師を派遣することは難しく、貴ミッションよりの応援・派遣を願うという依頼の文面であった。
そこで南長老教会は「たまたまセントルイスの、グランドアベニュー長老教会が、亡くなった牧師マクヒーター博士のため、何か適当な記念事業をと考えていたので、外国伝道委員会総主事ヒューストン博士と相談の上、日本伝道の資金を提供することを申し出た。外国伝道委員会は喜んでその申し出を受け納れ、二人の青年を日本に派遣することに決めた。
一人はヴァジニア州ブバント出身のグリナン師(Rev Randolph Bryan Grinnan)、もう一人は、アラバマ州マーデイスヒル出身のマカルピン師(Rev Robert Eugenius McAlpine)であった。二人の青年は1885年11月10日サンフランシスコを出発し、12月1日火曜日、横浜に到着した(近藤武一著「米国南長老教会の日本伝道」33頁)。
ここでR・E・マカルピン師の来歴について記すと、師の両親は、父をオーガスチン・アービン・マカルピンと言い(1820年4月28日生~1910年6月16日没)で、(1847年10月26日結婚)、R・Eマカルピンのお父さんは、お医者さんであったが、ある嵐の日、馬に乗って患者を巡回する内に風邪をひいたのがもとで49歳の時に逝去されてしまった。その時R・Eマカルピン師は男6人、女2人の兄弟姉妹の中の一番下であった(1862年3月5日生)。少年時代をアラバマ州のタラデガ(Talladega,Alabama)の学校に学び、後にテネシーのクラークスビルにある南西プレスビテリアン大学に学んだ(1914年に神学博士の学位を得られた)。最後の学びは南カロライナのコロンビア神学校である。1884年10月14日、外国伝道にため召命を受けられて日本への伝道に来日されたのであった。
写真・・・バラ・マカルピン 両宣教師の家族 於横浜(1910年)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」