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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(156)
2月20日
今朝洗濯物を干していると、北側の山から“ホーホケキョ”と鶯の鳴き声が聞こえました。一瞬耳を疑いました。今まで2月に鶯の鳴き声を聞いたことはありませんから。しばらくするとまた鳴き始めます。主人に声をかけて、二人でしばらく待ちました。またはっきりと大きな声で鶯が鳴き続け、きっと梅の花の蜜を求めているのかもしれません。朝からとてもほのぼのとしたひと時でした。
耕しや黒美しくならされぬ。
京へ出る御とぎ峠の薄霞。
船団の如進みける春の雲。
ぎらぎらと早やもゆるなり春入日。
雨粒とともに眺めし梅の花。 馬場路哉
2月21日
くもり空の一日。天気予報では晴れるとのことでしたので、たまっていた洗濯物をたくさん干しました。風が吹いていましたが一向に乾きません。仕方がないので必要なものだけ乾燥機に入れ、あとは部屋の中に入れてストーブの力を借りることにしました。
山仕事、帰りの道に風花す。
冴え返るオルガン強く秦しける。
雪嶺のふもとに母を見舞ひけり。
料峭の終わりを告ぐやトビの笛。
春の水岩間岩間に踊りける。 馬場路哉
主人が上野市の花屋さんで“紅梅”の鉢植えを買ってきてくれました。小さなちいさな花が二つ、三つついています。とても愛らしいものです。土に植え替えればきっと見事な木になるのでしょうが、しばらくは小さな鉢で楽しみます。春ですね。桜の開花予報が出ています。
3月3日
2週間ぶりに礼拝に行ってきました。するとびっくりすることがありました。
山添村の若い青年が礼拝に先週からきておられるとのことです。ご挨拶に行くと、またびっくりです。息子の小学校、中学校の同級生です。キリスト教のことを学びたいと教会を訪ねたと思われました。神様の不思議なお導きにとても感謝いたしました。お母様とは音楽研究会で一緒に合唱したことがありますし、今は山添村の俳句会で主人とご一緒しています。息子にこのことを伝えても、あまり反応はありません。幼いころは一緒に日曜学校に行っていたのにと思うと残念で仕方ありません。神様のお導きと憐れみを祈るものです。
丘陵は貸農園や青木踏む。
店頭に小振り並びて桜鯛。
枝打つや谷の底ゐみ春の川。
雨上がり鶯のちょっと鳴く。
春疾風(はやて)伊賀の盆地を突っ走る。 馬場路哉
明日は雨だというのですが、友人を月ヶ瀬の梅を案内することにいたします。
運転には十分に気を付けて行ってきます。長い間勤めていた月ヶ瀬小学校の前も通り抜けます。もう誰も私を知る人はいないはすが、時々、覚えてくれている方がいて、大きな声で呼んでくれるのです。こちらも思い切り手を振って昔のように大きな声であいさつしています。懐かしいなあ・・・・。
3月5日
昨日の雨の一日と違って、気持ちよく晴れ渡りました。遠くの山並みを見渡しますと、桜が芽吹き始めたように辺り一面、ピンク色に移っています。タンポポがあちこちで目立つようになりました。チューリップの芽がこの暖かさでぐんと大きくなったように感じます。
カラオケや“北国の春”持ち歌に。
伊賀焼に乗ってをるなり立ち雛。(たちいひな)
かんざしのように枝あり梅白し。
朝まだき仲空にあるおぼろ月。
廃寺跡谷間(たにあい)広く春日待つ。 馬場路哉
この頃の私たちは夜は昭和の懐かしい歌番組にはまっています。主人は誰が作詞した曲なのかを知ろうとしています。中でも主人のカラオケでの持ち歌は“北国の春”です。私はテレサテンの曲がとても好きです。もう平成も終わろうとしています。昭和が遠い昔になろうとしているのが寂しいですね。
3月12に日
こちらは風がきつく吹き荒れています。杉の枝が狭い道にたくさん落ちています。花粉症で花がぐずぐずするはずだなと杉の枝の多さに驚いています。この地で生まれ育った主人は杉にもヒノキにもアレルギーが出ませんから、抗体ができているのでしょう。
青年の教会へ来ぬ春の雨。
三笠山焼かれて黒し塔の側。
卒業す新島譲を敬愛し。
復活を信ずるトマスイースター。
渕と瀬の広々とあり春日濃し。 馬場路哉
趣味の園芸を見ていますと、もう桜の花が咲き誇っている映像が映し出されています。桜は梅と違ってとても華やかです。地植えをすると大きくなるので鉢植えにするとよいと教えてもらいました。桜は奈良ではなんといっても吉野ですね。学校の社会見学で一度行ったのですが、とてもきれいなソメイヨシノに感動したのが思い出されます。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
写真・・・R・E・マカルピン夫妻と子女 於名古屋長塀町(1902年夏)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」