[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
小閑記
「わたしに何をしてほしいのか」
=ルカ18:41=
私たちは日々の生活の中に、たくさんの願いや願望をもって時を過ごして生活しています。誰かに、あなたは私に何をしてくれますかと言われたり、私のしてほしいのはこれこれですが・・・ということはおありですか。買い物に行き、欲しいものが手に入るとささやかでも喜びを得ます。病気の時、お医者さんに癒してほしいと願います。
ところで、思いがけない時にあなたは、イエス様が「わたしに何をしてほしいのか」と問われた時、何をどのように言うことが出来ますか。私自身は戸惑ってしまうでしょう。「わたしをあわれんでください」と言えるでしょうか。イエス様が救い主であると知り、信じている人は、私を憐れんでください。私の罪をお許しください。苦しみや悲しみから救い出してくださいと願うことは出来るでしょう。
イエス様が祈っている私たちのところに来られて「わたしに何をしてほしいのか」とお聞きになったとしたら、私たちの日々祈り求めている事柄を素直にイエス様にお応えできるでしょうか。ありきたりの願いであったり、自己中心の祈りであったりで、真に必要な願いと言えないのではないかと考えるとしたら、このイエス様の問いかけは、私たちには欠くことのできない大切な事柄と言えます。
聖書の中に「また、祈る場合、異邦人のようにくどくどと祈るな。彼らはことば数が多ければ、聞き入れられるものと思っている」と言われています。
私たちが祈りによって神の前に出る時、自問してみようではありませんか。
私が今、何を望んでいるのか。実際に何が必要なのかを、神様に申し上げているでしょうか。
心疲れている時、心渇いている時と、何もかも手に入っている時の祈りに、どのような違いがあるでしょうか。
イエス様は、疲れたものは私のところに来て休みなさいと言い、思い悩むなと言い、隣人を愛しなさいと言われました。そうして「神の国と神の義を求めなさい」とお教えくださいました。
この「わたしに何をしてほしいのか」の神様からの問いかけを、本当に大切にしたいものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」