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『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
☆ 田んぼの畦道には土筆がたくさん出ています。子供のころは母の味付けで食卓に出たものですが、私はあまり好きではなく、私の料理からは消えてしましましたが、ご近所の方が持ってきてくださいましたのでいただきました。あの独特の味に母を思い出しましたが、やはり苦手は変わりません。主人はお酒に合うとかで食べていますが・・・。 宮城県 A・Mさん
☆ 暖かくなりましたね。桜も花芽も少しずつ大きくなって来ました。さくらんぼの花ももう終わりになりましたね。伊豆の下田市では、桜は、終わったとか・・・。私は、種まきやジャガイモは植えました。我が家のシンビジュームも次から次に咲いています。近隣の方々にあげています。喜ばれています。沢山咲かすと来年咲かないから少し咲くといいのですが、今年は沢山花がついています。鬱の息子も最近は調子よくなりました。私達は、相変わらずぐうたらです。お祈り感謝します。 和歌山県 T・Mさん
☆ 私たちに最初に子供が与えられた時、庭に木を植えることにしました。まだまだ寒い春先でしたが、お花屋さんの店先に可憐な小さな苗木があり、買い求めました。この木は成長するときれいな花を付けますよと言われたのが「雪柳」でした。3年目に二人目が与えられたので、お世話になっているあのお花屋さんに行き、同じ「雪柳」を買いました。今その二本の「雪柳」は私たちのもとを離れて、それぞれの家庭を持っています。庭には「雪柳」がありました。この季節になると、子供たちや孫たちを思い出させてくれる「雪柳」になりました。庭の「雪柳」はまだまだ元気です。白い清楚なレースのカーテンが春を告げる風に揺れています。 福井県 Y・Yさん
☆ 桜の花を見ると思い出すことがあります。と言ってもわたしはまだ30代ですが、祖父母のころから続いているそうですが、お隣りのKさんご家族と一緒に私の家の庭にある桜の下で持ち寄り料理のお花見をすることです。子供のころから毎日顔を合わせ、声をかけてくださっているKさんご家族ですし、私たち子どもは同じ学校で一緒に登校していているのに、その日だけは特別の日になるのです。そんな習慣は私たちの地域のあちこちにあるのが不思議です。ある人は、昔は土葬だったので、その習慣ではないですかと言うのです。そう思えば、何だか心のふるさとという感じがしました。
今は会社の人たちとお花見で騒いでいますが、私のふるさとが懐かしいです。心が疲れているのかなあ~。 埼玉県 T・Fさん
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△ 汚染物質のために避難指定地区にされていたのですが、そのお花見バスツアーに参加された友から、やはりふる里は良いなあ~と参加された皆さんは、笑顔で話し合っていましたとのメールが来ました。主人とうれしい気持ちで読みました。テレビでも見ることができましたが、あの満開の桜の下を大勢の人がお弁当をひろげていた時を思い出しました。来年は、皆さん、制限もなく花見のできるようになってほしいと願っています。
△ 母がお世話になっている施設で、先日、お花見会がありました。日頃顔を合わせることのない家族同士ですから、最初は言葉を交わすこともありませんが、時間が経つと共に職員さんたちのお手伝いをするようになり始めてからは、自然にお話しすることができました。皆さん、同じお気持ちで親が施設のお世話になっているのですから、理解し合えるところが多く、わたしたちにも良い経験になりました。
△ 我慢して来た人生に、最近疲れを感じます。生き生きと自分を外に向けてこなかったことに、自分に腹が立つのです。後悔と言う言葉は、我慢のしすぎなんだと思えて、地域の集まりに出かけて、週二回のボランテア活動を始めました。不得意と思っていた人との会話も、出来るようになりました。外に出られない方のゴミ出しボラで、終わった後は、お仲間とお茶飲み会です。運動にも良いですね。最近の日記の内容も明るくなりましたし食事も美味しいです。
*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」