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今月のことば
わたしは確信する。死の生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
=ローマ8:38~39=
<149>
1 とこよにわたりていわえ、 主はよみがえりたまいて、
よみのとびらをうちひらき、 主イエスは死に勝ちましぬ。
3 死に勝ちたまえるイエスよ、 み名をたたうるわれらを、
とわにつきぬいのちもて、 主イエスは死に勝ちましぬ。
アーメン
キリストにあって示され、人々の前に現われた復活の朝、完成された救いは、神ご自身のように完全であります。十字架に頼る罪人をとられている愛のみ手は、すべてに勝って強く、誰もそのみ手からキリスト者を奪い取り、引き離すことはなく、出来ないのです。本当に弱き私たちキリスト者は、この救いの恵みによって強くされ、不安なものが安全にされ、悲しむ者が喜びへと確かに導くのであります。
嵐が激しさを増すにつれて、錨は砂に深く食い入って、しっかりと船をつないでおくように、この世にあって神の子供は、困難や危険が最も多く激しい時に、救い主に最も近く、依り頼むのです。人は、見えるものに頼り、自分自身に頼る者ですが、主に信頼する者は、その信頼がむなしく、決して恥ずかしめられることはありません。
私たちの周囲に、嵐は激しく吠えたけり、悪の力は私たちを追い求め、病気、貧困、辱め、恥辱が私たちの心に、信仰につきまとう時でも、何物も主のみ手にある者を害することはできないのです。神への信頼は闇が光となり、希望となるのです。
「心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない」(箴言3:5)。
「主に信頼する者は、動かされることなく、
とこしえにあるシオンの山のようである。
山々がエルサレムを囲んでいるように、
主は今からとこしえにその民を囲まれる」(詩篇125:1~5)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」