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十戒と主の祈り・・7・・1・・
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=安息日=
第四戒①・主の日
出エジプト記20:8~11
第四戒に進みます。安息日を守ることについてです。旧約聖書に安息日のことが最初に出てくるのは、出エジプト記16章のシンの荒野でマナを集めたときのことでした。モーセは民に対してこう命じました。「今日はそれを食べなさい。今日は主の安息日である。今日は何も野に見つからないであろう…あなたたちは六日間集めた。七日目は安息日だから野には何もないであろう」(16:25~26)。
創世記の2章2~3節に、神がパラダイスにおいて安息日を守っておられることが記されていて、「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第7の日を神は祝福し、聖別された」(2:3)とあります。しかし、厳密には、主なる神が休まれたのであって、人間のための安息とは言われていません。出エジプト記の20章で初めて、神の安息が、人間の安息の根拠となっています。「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」(10)。
新約聖書に「主の日」である週の初めの日に、信者たちが集まった(ヨハネ20:19,26、使徒20:7)ことや、エルサレム教会のために献金を集めたこと(Ⅰコリント16:2)、ヨハネがパトモスでその日に聖霊を受けたこと(黙示録1:10)は記されていますが、この日に信者たちが仕事を休んだという明らかな記述はありません。ということは、これらの集まりは朝から夜に行われた可能性があります。
歴史的にも、ドウマ教授は「2世紀以前に信者たちが日曜日に仕事を休んだということを述べている記述を見出していない」(111頁)と記しています。コンスタンティヌス帝の時に初めて日曜日が休日になりました(321年)。新約聖書の教会のキリスト者たちは、週の初めの日の朝から夕に集まっても、働きを休んだのは週の七日目だったのでしょう。
それでは主の日を安息日としたのは、教会や皇帝が決めたことなのでしょうか。そうであれば、ウエストミンスター信仰告白21章の「宗教的礼拝と安息日について」の7項で「週の最初の日に変わった」と告白していますが、それはどうなのでしょうか。安息日と主の日の内容面からの類似を考える必要があります。
(1) 安息日は、神の創造の働きからの休み、イスラエルのエジプトの苦難からの休み、主の日は、キリストの苦難から復活された休みの日という共通性があります。
(2) 共に恩恵をもたらしてくださった神に礼拝を捧げる日です。礼拝という共通性。
(3) 奴隷状態からの解放、罪からの解放を祝う日、それは共に人のためにあります。
このように、安息日礼拝から主の日礼拝に切り替わるには、非常に長い期間を要したと考えなければならないことになります。ですから、幼児洗礼の場合と同じように、聖書全体を貫く契約の内容から見るとき、安息日には、主の日の基本的な性質が含まれていました。
第四戒②・主の日
ルカ13:10~17
前回は安息日と主の日の関係について学びました。今回は、主が安息日について語り、その日になさった業から、安息日の意味を学びます。当時の律法学者や広くはファリサイ派はイエスを非難しましたが、それに対する主の反論から教えられます。
彼らは、主イエスや弟子たちが安息日に行ったことが律法違反であると非難しました。弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べたこと(マタイ12:1~8)、主イエスが手の萎えた男を癒されたこと(マルコ3:2~5)、18年間も腰の曲がったままの女を癒されたこと(ルカ13:10~17)、水腫を患った男を癒されたこと(ルカ14:2~4)、また、38年もの長い間、病に苦しみ、ベトサイダの池のそばに横たわっていた男を癒されたこと(ヨハネ5:1~9)など、安息日の守り方で、主イエスとファリサイ派の者たちとの間に対立が生じました。
先回、学びましたように、安息には労苦からの休みの日でしたから喜びの日となりました。奴隷のような状態からの解放、また罪の奴隷の状態からの解放でした。そのため、安息日は待ち遠しい日です。特に文字通りの奴隷にとってはそうだったでしょう。労苦から休むことになるからです。
ファリサイ派が主イエスとその弟子たちを非難したのは、自分たちの安息日理解とは違って、イエスが働いたというように考えたからでした。自分たちの律法の表面的な解釈からは、イエスたちの行動が違反した行動になるからです。
しかし、主イエスはご自分の行動が律法に対立しているとは少しも考えてはおられませんでした。むしろ、全くその逆で、安息日に関する考え方も、安息日に行った行動も、十戒のまえがきが語るように、安息日というものが持っている休息、憐れみ、そして喜びという十戒の性格を、主は回復なさったと考えておられ、それを実行なさいました。
当時、安息日を形式的に守ることで、ユダヤ人の指導者たちは自分の義を立てようとしていました。つまり律法主義になっていました。それでいて、何百という細かい規則を定めては、律法から逃れる道を作っていました。例えば、安息日には二文字をかいてはならない、二針縫ってはならない、一文字、一針を休み休みならよいというように。
そうした中で、主イエスは、人々に憐れみを示し、恵みを与えることによって、律法が本来持っていた喜びを回復してくださいました。安息日論争の中で、「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27)と言われているのは、安息日を守ることは、ファリサイ派のように、偽善的に守るのではなく、また、ただ形式的に守ってさえいればよいのではなく、神の憐れみに応え、神に喜びと感謝を持って守ることを願う日であったため、癒しの業をすることは当然でした。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」