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「今月のことば」
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
=Ⅱコリント5:1=
世界の各国の民族の歴史的行事には、その宗教の名は別にして、それぞれの名称は異なっても共通した思いで行われているものがあります。それは亡くなった者に思いをはせる心のひと時であります。記念日という国家行事であったり、個人では、日本では命日と言われる日を大切にしています。
聖書の言葉には、私たちの身体を何時かは取り壊されるべき家、幕屋、天幕にたとえています。それによって神様は、内なる真の人は、まったく独立したものであり、住むべき地上の家はなくなっても存在することが出来るのだ、と教えています。
確かに、どんなに美しい建物が土の中に埋められなければならないことは、悲しいことであります。しかし、落胆する理由はありません。なぜなら、神様は、私たちのために、新しい家を建てる備えをしてくださったので、誰もその変化を悔やまなくてよいのです。
パウロはこのことについては、何の疑いも持っておりませんでした。そしてこの深い確信は、パウロが常に勇気を持っていた原因であり、自らの身体を脱け出して、天より賜る住家を着て、主のもとに住むことを望んでいたのです。
「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。・・・・。わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださるのは、神です」(Ⅱコリント5:2~5)。
最も美しい、最も深いキリスト信者の姿は、天国に行き、神と共の住み、救い主にお目にかかることであります。神は信じる者に天国を約束してくださったのですから、キリスト者は一人ひとり、毎日をこの確信を持って、日々を歩むことです。希望は確かな喜びになり、信仰の悩みに打ち克たしめる勇気へと導いてくださいます。
キリスト者の記念日は、主にお目にかかる先取りの日なのです。人びとは今は無き(亡き)者を思うこともありますが、大切なことは日々神様を、神様の思いをお迎えし、再会を喜び、その恵みを独り占めにすることではなく、多くの人に伝え続ける日にしたいと願う記念の日にしたいものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」