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「小閑記」
わが魂はもだしてただ神をまつ。
わが救いは神から来る。 =詩篇62・1=
人にはそれぞれの環境や年齢の差異はあっても、ふと自分を振り返る時が訪れるといわれます。
この冒頭の聖句は、それを私たちに考えさせる大切なみ言葉であり、時でもあります。
ダビデは、その生涯の夕暮れを迎え、過ぎ去った時のことを振りかえって立っています。
ダビデは何の屈託もない羊飼いの少年として、丘の上や花の咲いている野で、動物に囲まれて遊んでいた日々を思い浮かべます。また王位に就くまでの困難な狭き道をも思い浮かべています。自分が低く下り、高く上がるのを見、またすべてのことを、人生の真のはかりにかけてみて、幸福はどこにあるかを究めなければならなかった時のことを見て、結局は長い道を経て、神の中よりほかになかったことを、知り、知らされ、それを結論としてます。
自分の幸福は、富にも貧にも、名誉にも不名誉にも、病にも健康にもなく、ただ神にのみあるという教訓を学ぶには、多くの時間と失敗と手間のかかったことを知ろうとしています。多くの人は生涯をかけて、この世に幸福を追いかけて暮らします。
魂はこの歌を昼も夜も聞きます。「もしわたしがあそこまでやり、あれだけのものを得ていたなら、幸福だっただろう」と。
しかし、一人として、神を見いだすまでは幸福にはなれないのが真実であります。ダビデは羊飼いであった時よりも、王となってから嘆き悲しみ、涙することが多くありました。富む者は貧しい者よりも心配も多いのが世の常であります。財産を増やす者は、悲しみも増やします。
しかし、己が生涯を喜んで神の救いの手と父なる神の手に委ねる者は、命の川から命の水を飲み、平和を与える宝を見いだすのです。人生の真の平和と喜びを得たいと真に願う者は、先ず神を見出さねばならならないと、この冒頭のこのみ言葉は語っています。
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」