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十戒と主の祈り・・・8・・・3 鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=父と母=
第五戒⑤・上に立つ者
民数記12:2~10、ローマ13:1~7
ウエストミンスター小教理問答64、65問にこの第五戒の説明があります。そこでは父や母だけではなく、上下と対等の人への敬意と義務を果たすことが教えられていると記されています。
上に立つ人は、親であり、上司であり、また為政者などであったりします。彼らが持っている権威は神から来ているものです。私たちがそれぞれに相応しい敬意を払うことが教えられています(ローマ13:1)。
彼らはその持っているそれぞれの権威を行使することを認可されていますが、それは正しい目標にそって行使しなければなりません。しかし、正しく行使されなかったとき、そのためにその権威を行使する認可を失うわけではありません。両親が両親でなくなることはありません。政府が良くない政治をしたとしても、その政府は存在している限り、政府として敬意を払うべきです。神によらない権威はないからです。
しかし、親があまりにも親として義務に反することをなし続けるとき、子が親から離されて保護されることがあり、為政者は法的手続きによって変えられることが起きることがあります。教会における指導者についても教会の訓練規定があります。
上に立つ者は、神から与えられている権威が大きければ、それだけ大きな責任を神と隣人に対して負っています。親は神と子供たちに対して、為政者は神と国民に対して、そして教会役員は教会の頭であるキリストと教会員に対して責任があります。主イエスは御自分が羊のための良き羊飼いであることを強調なさったことを忘れることができません(ヨハネ10:11)。
あるいは上に立つ者が、ミリアムとアロンのように、指導者であるモーセを妬んだように、上に立つ者としての権威がどこから来て、何のためにあるかと言うことを、見失ってしまう個人主義的な誤りに注意することも大切です。
上に立つ者が役に立っているかどうかを機能的に判断することも、注意しないと自分の視点からしか見ないという個人主義的な偏った判断に陥る危険があります。
第五戒⑥・為政者
申命記17:14~20、ローマ13:1~7
この二つの聖書個所を見ますと、王あるいは為政者は神によるものであることがよく分かります。イスラエルの民がまだ荒野の旅の途中、やがて立てられる王は、神御自身によることがはっきりと宣言されています。しかも神の制度として立てられる王が守らなければならない4つの注意事項も挙げられています。ローマの信徒への手紙13章からも、為政者は「神に由来して」いて、善を行なう者に報いを、悪を行う者に罰を加えるためにあります。
しかし、この為政者自身が常に神の御心を行っているわけではありません。サムエルが預言をもって警告したように、近隣諸国のように王を求めたイスラエルの民は、王によって軍隊のために出兵、納税、苦役と言う義務を負わされることになります(サムエル記上8:11~18)。
パウロもそうですが、為政者によって不当な苦しみや刑罰を受けたことが聖書に多く記されています。彼がダマスコの町の城壁からつり降ろされたのは、アレタ王の迫害を逃れるためでした(Ⅱコリント11:32~33)。一度ならず投獄されました。いつも抗議したわけではありませんが、当時の通常の裁判なしに公に辱めを受けた時、躊躇することなく、抗議しました(使徒16:37~39)。
福音を語らせまいとする為政者の命令に対して、パウロは聞き従うことはありませんでしたが、それでいて、このローマの信徒への手紙13章1~7の言葉のように、為政者を否定的にではなく肯定的に考えています。
為政者に従うという原則に立ちながら、為政者の権力は絶対的なものではなく、為政者も神が聖書で示される正義とその国の法に従わなければなりません。それができなくなり、独裁的になった時、非常時として、次の地位にある適任者がおれば、政権交代が必要になるでしょう。ドウマ教授は、それが革命というような形をとる場合もあり得るが、それには三つの条件があって、1、基本的人権が為政者によって徹底的に継続的に侵され、2、国民を代表すると考えられる人々がリードして3、革命を成功する確率が高く、流血ができるだけ限定されるとき、可能であると述べています。
今回のアメリカのイラクにおける戦争のような問題に対して、教会として、あるいはキリスト者として、どう対応するかについても、議論のあるところだと思います。ウエストミンスター信仰告白31章「地方議会と全国会議について」の5項は、これらの会議は「教会的な事柄以外のなにごとをも扱ったり、結論を出したりすることはできない。非常時の場合の謙虚な請願として、あるいは為政者から求められた場合には、良心の満足のため助言すること以外は、国家に関する世俗的な事柄に干渉すべきではない」とあります。教会的な事柄と世俗的な事柄の区別が求められます。いずれにせよ、神によらない権威はなく、為政者は悪に陥る危険があるため、彼らのために祈らねばなりません。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」