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世田谷通信(194)
猫草
高齢の学校ウサギを預かっていることを書いた。しかし夏の暑さに耐えられず、8月に息をひきとった。
その日は午前中から気温30℃を超す暑い日だった。獣医さんに連れて行くと「顔色が悪いですね」と言われた。ウサギの顔色って何?と思ったが、確かにいつも薄ピンクの鼻周辺は青ざめている。温かかった足先も冷えている。心肺機能が弱っているのだ。
それでも流動食をシリンジ1本分平らげ、頭を上げておかわりを要求した。「動物病院はおいしいものが貰える場所なの?」と獣医さんと笑った。診察が終わり、いつもは「まだ大丈夫、次の診察まで頑張ろう」と声をかけてくださる獣医さんが、「今日、職員室に挨拶に行ってきたらどうですか?」と言った。その時、ああ、もう長くない、と思った。
そのまま学校に行き、夏休み中に出勤している先生方と修学旅行前に登校していた6年生にウサギを会わせた。痩せて、かぼそく呼吸する状態に涙ぐむ子もいたが、みんなそっと体をなでて「ありがとう、よく頑張ったね、さよならだね」と声をかけてくれた。6年生は12歳、ウサギと同じ年なのだ。
一人の子に「お薬をあげてみますか?」と聞くと「はい、やってみたいです」と言うのでシリンジで少し薬を飲ませた。先生が2cmほどの小さな葉っぱを「食べるかな?」と差し出すと、ゆっくりゆっくり咀嚼して飲み込んだ。それが最後に食べた固形物だった。その日の夕方、眠るように静かに呼吸が止まった。
預かってから約半年、獣医さんとどう治療するか相談した。そして「最期の日までお腹いっぱい食べて、痛いところも苦しいことも無いようにして、できればみんなで看取りましょう」と言ったとおりになった。
獣医さんに電話で報告すると、「最後に学校ウサギとしての仕事をしてさすがですね。長い間お疲れさまと伝えてください」と言われた。
折しも東京で今年初の真夏日を観測した日だった。
看取るために引き取った。別れが前提なのに、空虚さがつのる。寂しさが、それまで存在していた場所を通り抜けていく。小さな命だが、多くの人に愛された。さようなら。安らかに。
元気なころの写真です。
「追記」
世田谷と言っても我が家は幸いにも、特に被害はなかったけど、各地の被害が甚大です。多摩川が浸水した辺りは元々河川敷です。バスで通るたびに、そこ、昔の堤防の下なんだけど・・って思ってた。多摩川が氾濫するなんて想定外と言っているけれど、それはごく最近の話だけで、もともと大変な暴れ川。関東平野は多摩川の扇状地だ。日本は山国、平野と言われるところは扇状地と埋め立て地。そのわずかな平地(空地)に農地と集落が出来ていた。それが今の日本の成り立ち。近年、下水、上水、雨水、河川、ダム、諸々のインフラの想定する数値がもう限界にきている。分かってる。それでもなんとかやっていかなくてはいけない。日本で人の住める平らな場所は扇状地か沿岸部の埋め立て地しかないんだもの。
二次災害、感染症の被害が拡大しませんように。気温が低いのは辛い部分もあるけど、暑かったらもっと悪化している・・。
これからは毎年の事になると思う。でも抜本的な対策はとれない。本当に治山治水は難しい。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」