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「小閑記」
しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかのひとがあなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。
=ヨハネ21:18=
大切なことがあります。主イエスを信仰によって救い主と受け入れた人は、同時にみ旨のままに私たちを支配する権利を神に差し出したのです。「みこころをなしたまえ」と言って、同時に、この世で自分の欲することを自分のために得るということは、これはキリストが王であられる国においては、出来ないことであります。
こういうことは自明のことながら、私たちは最も辛い戦いをするのは、このことであります。時々、私たちは、神は冷淡で、無慈悲であると考えさせる原因は、私たちの人生・歩みの見方が、神様のみ旨・目的と異なっている所にあります。
神様は、私たちのために二つに一つの、永遠の救いか、永遠に失われるものかの重要さをご覧になるのです。そして神が、もし地上の利益が私たちを永遠の命から奪うものであることをご覧になれば、私たちの好まない所へお導きになるのです。
神様は、私たちの行く道に「しるし」をつけ、行くべきところへと導かれるのです。それが私たちにとって嘆き、つぶやこうとも、神様はご計画をお変えにはなりません。私たちが神様の御許にいる間は、み心のままに扱われるのです。
常に心よりすることは出来なくても、信仰と忍耐をもって歩むならば、私たちが出会う全ては地上の罪の絆を解き、解く手立てとなり、神様を崇める助けになるのです。
主は汝の魂を解き放ち、汝の心を重荷より、
やがては解き放ちたまわん。
弱き心よ、喜び歌え。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」