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「小閑記」
彼らは嘆きの谷を通っても、そこを泉のある所とします。
また前の雨は池をもってそこをおおいます。
彼らは力から力に進み、シオンにおいて神にまみえるでしょう。
=詩篇84:6~7=
2019年も今月で終わります。人にはそれぞれの歩みがあり、国にもいろいろの出来事を終えて2020年へと向かいます。しかし、振り返って見る時、そこにはあまり差異はありません。
ほとんどの人は、何かを求めて額に汗し、何かを得るために労苦してきました。そこには、貧困の苦しみ、重い労働環境、病気や悲しい出来事、いじめや差別をほとんどの人のぬぐえない忠実な道連れです。私たちの人生の道は、まことに悲しい道、嘆きの谷です。
人は、ふと生きる勇気をよくも持っているものだと、驚くことがあります。少なくとも、人生は死をもって終わると信じていると考えることが、奇妙にさえ思います。この世界に生を受けた時から、死をもって終わる日々の歩みと思う考えに、打ちのめされてしまうなら、あまりにも私たちは哀れではないでしょうか。
しかし、聖書が神について、救いについて、恵みについて、死の彼方の国の永遠の命について語るところを信じる人々、その信仰を持つ者には、たといこの世の生活は重荷と涙の伴うものであっても、神とともなる栄光の希望に満たされているのです。そのような未来に確信を持つならば、人生のそのものに意味と目的とが、心に生まれているのですから、今はどうであれ、未来には落胆と絶望の道は通り抜けているのです。
古の詩人は、「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝いとこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ、あなたによって喜び誇ります」と歌い上げています(詩篇5:12)。
イザヤは、「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである」(イザヤ25:8)と告げ知らせています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」