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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・25・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
12 バラの足跡・・2・・
明治も30年期に入って、日本資本主義の発展時代となり、反面、社会問題、労働問題が多発して政治上にも混迷・分裂の時代となった。従って、国家主義と社会主義の中間にあって、キリスト教会は振るわず、沈滞ムードの時代であった。
R・E・マカルピン師は1898年(明治31)、愛知、岐阜地区の伝道を担当して、木曽路の東美濃地方にもたゆまぬ伝道旅行をされたが、集会に集まる者は、時に2、3人という状態であった。宣教の困難は加わり、ミッションの東美濃地区伝道の打ち切りといった問題も生じて、補助伝道者の日本人教職はその打開に苦慮したのである。
明治31年3月10日、米国オランダ改革派ミッションのフルベッキ師が逝去した(68歳)。バラ先生にとっても日本の同信・同労の友として、これは淋しいことであった。しかし、バラ先生はたゆまぬ伝道心をもって、開拓した伝道地を巡回して、「足の伝道」を続けられた。
明治32年以後、信州伊那谷の伊那地方でバラ先生からの受洗者を記すと
1899年(明治32) 5月14日 小平よし 中村まさる 水谷てる
1900年(明治33) 5月29日 田中しき
1901年(明治34) 10月18日 権田静枝 三津木ゆきえ
1907年(明治40) 10月28日 堀内君子 斎藤政頼 所角太郎
三沢常吉
1913年(大正 2) 5月18日 藤沢きよ 藤沢せつ子 所しのぶ
8月13日 小口遇夫
1914年(大正 3) 11月17日 唐沢やすえ 唐沢あさ
1915年(大正 4) 5月21日 宮下きん 高島清人 有賀一男
1916年(大正 5) 7月17日 宮下信雄 後藤季武 鈴木とり
唐沢あい
12月22日 高橋信四郎 西沢美則 春宮基宣
(以上筆者調)
バラ先生は日本を去るまで、こうして山深い伊那の地まで福音を述べ伝えて止まなかったのである。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」