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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(165)
11月16日
昨日、星野富弘さんの詩集を読んでいました。大きな事故で体の自由が奪われてしまったとき、生きる力を失ってしまったことが何度もあったのですが、神様と出会ってからの人生は、何かお役に立てることをしたいと思うように変わったことを強く訴えておられます。神様とともに歩むことは、生きる力と喜びが与えられるのですね。インフルエンザが流行っています。お大切になさってください。
天守閣孤高なりけり、うす紅葉。
白菜を獣にやられ捨てにけり。
喜びを鳥は歌ひぬ秋日和。
一瞬やつるべ落としの夕やけす。
祈りつつ聴かんとすなり秋の声。 馬場路哉
今朝から片頭痛が激しく横になって休んでいました。主人がいつの間にか夕食の準備をして作ってくれました。感謝でした。今は片頭痛も収まりましたのでやれやれです。思ってもみないことが起こるこの頃です。
11月25日
外はもううす暗いです。朝から曇り空のまま、一日中真っ暗なように感じられます。散歩道の紅葉も葉っぱを落とし始めています。カサカサと葉っぱの音がリズミカルに聞こえてきます。11月もあと一週間となりましたね。気ぜわしい12月を迎えますが、私たちの救い主イエス様のご降誕の月です。イエス様を救い主として信じる信仰が今、与えられていることに感謝いたします。
病室に小春の日差し届きけり。
伊賀の霧滋賀の山並み隠しけり。
鳩の声リズミカルなる小春かな。
羊穂や伊賀の田んぼの広ごりぬ。 馬場路哉
これから冬至までどんどん日がみじかくなってきます。なんだか、忙しく感じます。
12月1日
今朝の最低気温は氷点下一度でした。池には碓氷が張りました。寒さが本格的になってきました。昨日、来年度のカレンダーをお店でいただきました。2020年まであとひと月なのですね。
東京オリンピックの時は私は高校1年だったように思います。お友達のラジオから流れる開会式の様子を聞き入ったのを覚えています。寮生活でしたから、こっそりラジオを聞かせてもらっていたのでした。あれから55年がたったなんて信じられないのです。元気でテレビで映し出される競技を楽しみたいと今からわくわくしています。
草紅葉刈る哉色合ひ愛でもして。
芝生あり散歩の叶ふ小春かな。
山の端の余韻はつるべ落としかな。
碧天にみくにを思ふ小春かな。
川浪の白緑として冬に入る。 馬場路哉
一日、一日、神様がともにいてくださって強め、励ましてくださっていることに感謝いたします。明日のことを思い煩うことなく、感謝の気持ちで終えることができる幸いを覚えるこの頃です。
12月7日
日当たりに和みをるかの落ち葉かな。
ピアノ曲流れゆくかに秋の風。
細流の時を刻みて黄落す。
過疎の村柿なり年のめぐりけり。
蓑虫の小枝の陰へ隠れけり。 馬場路哉
奈良の柿、特に吉野の柿は有名ですが、今年はここ山添村でも柿が鈴なりです。それも我が家ではここ数年一度も柿の実が熟さなかったのに今年はびっくりするほどなのです。カラスも持て余して道端に食べ残しを捨てていきます。このような年もあるのですね。
12月8日
今朝は少し寒さが和らいだような気がいたしました。腰の痛みを抱えながら家事を進めるのですが、時間がいつもの倍はかかります。何しろ、腰の曲げ伸ばしをすると痛みが走るのですから。どうしても支えを持つか正座してからでないと動けません。亀のような動き方ですが、何とか朝の家事をこなすことができました。これから先が思いやられます。だんだん、今までできていたことができにくくなっていくのでしょうね。受け入れるしかありませんね。
枯竹を焚きて枝焼く小春かな。
フェルメール柔和なイエスクリスマス。
目つむりて鳥の声聞く日向ぼこ。
木の葉ひ後に現はる黄蝶かな。
山峡を厚く包みぬ照紅葉。 馬場路哉
巷ではクリスマス商戦でにぎやかなイルミネーション、ジングルベルが流れています。ここ山添村でも夜になると家の周りを明るく照らしている光景が見られるようになってきました。
救い主イエス様のお生まれになった良き日を静かにお迎えしたいものです。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」