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「今月のことば」
主の慈しみは世よとこしえに 主を畏れる人の上にあり
恵みの御業は子らの子に 主の契約を守る人
命令を心に留めて行う人に及ぶ。
=詩篇103:17~18=
私たちの身体の膝が弱ると、歩むことができず、私たちの心の手が痛むと、働くことは出来ません。
信仰者として大きい問題は<精神的>力の問題です。真実、信仰者らしい生き方をする力、すなわち<歩む>力の問題です。なぜなら、信仰者らしく<語る>ことは、信仰者の大部分の人にとって、さほど難しいことではないが、信仰者らしく生きることは、より難しい日々の熟練がいります。
私たちの内と外にある人間的な強い力が働いて、信仰者の生活をいたずらに口やかましものにさせ、生気のない、弱々しいものにしております。
しかし、信仰者が真に信仰者らしい生き方で、神のみ名を崇めることが、神様のみ旨であり、この世に束縛され、邪悪な時代に生きるよりも、もっと生甲斐のある、何かがあることを示すことが神様の御心であります。
ではその力をどこに求めたらよいのでしょうか。
知恵があり、学問のある人々は言います。いくらよく食べても、食物が全ての必要な栄養を含まないならば、膝が弱るでしょう。美食をしても、骨や軟骨を作る要素を欠くならば、膝は震えわななくでしょう、と。
信仰者がそのことを信仰生活に応用・適用すれば、得るところは沢山あります。信仰の生活が、神様のみ言葉の一面のみを受け入れるのであったなら、信仰者が生きるために必要な力をみ言葉から、得ることはありません。み言葉の戒めと、教えを受け入れない人は、長い間には、永遠の慰め、許しの恵みを受け入れる余裕がなくなるでしょう。
この2020年、神様の救いのすべての勧告に心と耳とを開いて聞き歩みたいと願う日々でありましょう。私たちの熱心や決意は弱いものです。先き先きの計画は捨てましょう。今日を大切にするなら、新たな力が、弱った手に心に、信仰の喜びの恵みが待っていますから・・・・。
いともやさしく、善きわが友、楽しきにいます主よ、来りませ。
疲れし者の求むる憩い、真日照る時の、涼しき陰
嘆ける時に安らぎの 癒しの力もて、来りませ主よ、われらに。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」