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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・26・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
12 バラの足跡・・3・・
マカルピン師の名古屋伝道の実は、現日本基督教団金城教会で、その前身の相生町講義所は明治26年1月11日の設立である。日本基督教団の総理であった富田 満氏も1899年(明治32)7月2日、マカルピン師からこの講義所で受洗した。
1900年(明治33)になって条約が改正となり、外国人の日本国内の旅行も自由になった。それまでは、健康上の理由で保養のための名目でいちいち当局から許可を得なければ旅行ができないという面倒なものであった。
マカルピン師も5月には瀬戸永泉教会で洗礼式、10月7日には名古屋旭座でキリスト教大演説会(聴衆4500名)、11月25日(日)には、瀬戸永泉教会献堂式があって、バラ先生も横浜から来られて11月28日、3名の洗礼式が執行された。
この教会の敷地は700坪(191円6銭)で、バラ先生は横浜から来る人力車賃を節約して土地建物のために多額の献金をされ、土地は田圃であったので、埋め立てのため瀬戸川から老体もいとわず砂を運んで勤労奉仕をされたということである。
1901年(明治34)10月11日、日本基督教会第5回大会は、バラ先生の来日40年に対し、感謝の決議をし、その功労を表彰した。
「米国リフォームド教会派遣宣教師ゼームス・エッチ・バラ氏は、日本に渡来してより来る11月(明治34)を以て満40年に達せんとす。同氏は本邦最初の外国宣教師の一人たるのみならず我日本基督教会創立者の一人にて常に克己献身して主に忠誠を致されしは皆人の知る所なり。大会は此年月間同氏が終始一日の如く教会及び伝道のために尽瘁(じんすい)せられたるを多とし、尚今後長く健康にして使命を全ふさられんことを祈る依って特に決議して之を記録に留む」。
と、大会は満場総起立して敬意を表した。これに対してバラ先生は、申命記8章21節、イザヤ書第60章20節、アモス書第1章5節の聖句を引用して声涙共にくだる答辞をのべられた。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」