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「今月のことば」
イエスはこたえていわれた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたといっしょにおられようか。
いつまで、あなたがたにがまんができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。
=マタイ9:19=
信じる私たちにイエスが何度となく、私たちの不信仰について嘆かなければなかったとすれば、恥であり、不名誉であると感じます。もし、私たちが主イエスを信じることが厚ければ、私たちの証しを通して、多くの不幸な人々を主のみ前にお連れし、主はお助けになることが出来たでしょう。しかし、私たちの不信仰のゆえに、神が私たちに助けられること望まれた多くの人々は、助けられることなしに過ぎてしまわねばならないとは・・・。
それでも、私たちの上にくだる恥と懲らしめの只中に、一つの大きい慰めがあります。私たちにできないことを、主は、なし給うのです。そして主は、すべてを主のみ前に持って来なさいと、私たちをお招きになります。私たちは父親でしょか、母親でしょうか。どちらにしても、いろいろの仕事をし、不従順な、また無信仰な子供たちを持ち、それを考える親たちは、心配し、嘆き、そして祈るのです。また、このようになったことで、自分を責めることでしょう。
そうであるなら、来て、イエスのみ言葉を聞きましょう。「その子をわたしの所に連れてきなさい」との・・・。
救い主が、みもとへ、私たちの持て余す問題を持って来なさい、と言われる時には、素直に、謙虚に主のみ前に置きましょう。そうです。置くべきなのです。
主のみもとに持ってきた重荷を、また持って帰らないようにしなければなりません。多くの人々はそうしてしまいます。しかし、それをしてはなりません。重荷は主のもとに残しておかねばなりません。神は、私たちが祈ることを望まれますが、神の約束されたことを覚え、主の言われたことに、より頼むことを望まれるのです。そうすれば、私たちは重荷から逃れることができます。そして、主に、主こそ尊いお方であるあるという、私たちの信仰を見ていただくことができるのです。主が私たちにそのようにお求めであることを知ることは、何と幸いなことでしょう。
「あなたを呼んでおられるから」
キリストが昼も夜も あなたを呼んでおられるから
あなたの心を静かにして キリストのみ声を聞けよ
キリストが愛をこめて あなたを呼んでおられるから
あなたの心を空(むな)しくして キリストのみ愛を受けよ
キリストが細き声で あなたを呼んでおられるから
あなたの心の向きを変えて キリストのみもとへ行けよ
水野源三
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」