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「キリスト教百話」
問26 前回の話では「最後の審判」があることが望ましいように言われましたが、その辺のことが今一つ釈然としませんので、もう少し説明してください。
答・・9・・
わたしたちの中には勧善懲悪的な発想が潜んでおりまして、生前善いことをした人は死後天国に、生前悪いことをした人は地獄に…という風に、応報の理に適わないと落ち着けない性格があります。ですから、仏教説話のように、地獄極楽の仕分けがはっきりしており、しかもその中で地獄に関する説明が圧倒的に多いのは、それだけ人間の関心は地獄に寄せられているように思えます。そして地獄にいるものは永劫にその世界に留まっているだけで、そこからの脱出や救済はあり得ないように思われいます。
イエスは「神の国」(天国)のことを語られましたが、同時に「地獄」のことも語られ、「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」(マルコ9:48)と言われ、また「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきかを教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい」(ルカ12:4~5)と言われています。こういう言葉によれば、地獄とは正に永劫に続く世界であり、その地獄に投げ込むか、神の国に入れるかを決定する権威を持っている方は神である、ということになります。
その最終的な仕分けが「最後の審判」となるわけですが、既述しましたように、イエス・キリストを信じている者は既に「楽園(天国)住民証明書」を受け取っているのですから心配することはないのですが、中には「あの証明書を頂いているものの、その後、天国住民に相応しくないことをいっぱいやってきたので、減点が重なって「証明書無効」となっているのではないか」という人がいます。こういう疑問に対する答えとして「煉獄」の存在を説く人がいます。つまり、減点が多くて証明書無効となった人にも救済策があるので、有効性回復のための講習を課せられるという道が用意してある、ということです。
この講習を受けるのは、かなりの時間と苦労を伴いはするものの、そういう労苦を重ねさせられるのも、減点を抹消するための配慮として受け止めなくてはならない、という言い分です。一安心できるということでしょうか。しかし、そうは言っても、この労苦を一人で負うのは重すぎて潰れてしまうという人には、特別加算ということも可能である。それは点数を他人にあげられるくらい余分に沢山持っている人がいるので、その人から点数を分けてもらうことができる、という特別措置法があるというのです。それは「聖マリア」とか「聖ペトロ」とか「聖」が冠せられているから人は、点数が足らない人には点数補充を受けることができる、というのです。
一旦、天国住民である証明書を発行したからには、それを無効になどさせることなく、至れり尽くせりの手立てが講じられている、ということになります。それを信じるものには…です。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」