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眸(ひとみ)・・108 ・・
✬ 3月、4月は多くの人の移動の時期です。離島に住んでいた私は鹿児島市内の高校に進み、大学は大阪でした。大学生時代に洗礼を受け、50年が過ぎました。教員として広島で働き、定年で退職し3年目になりました。妻とは学生時代に教会の青年会で知り合い結婚、同じ教員として4人の子供に恵まれました。子供たちは皆教員です。私の育った島は、種子島や屋久島のような島ではなく、全国の天気予報も、台風の進路に入っても地図にも地名も出ないところです。昔から薩摩藩の過酷な年貢の取り立てに苦しむところで、誰もがその貧しさを知っています。その苦い思い出の島に妻と住むことにしたのです。農業を継いだ友人からは、最初は受け入れられませんでしたが、今は地縁、血縁でのよそ者扱いは薄れてきました。妻は広島弁で、島の習慣や言葉は分かりませんでしたが、教員経験を生かしていろいろの集まりに参加しながら、だいぶ馴染んできました。この島は自然豊かで、今ではいろいろの作物がJAの奨励で行われて、生計の安定ができつつあります。海がきれいでダイビングスポットとかで民宿もあり、飛行機で来るようになり、今では大手のドラッグストアーもありますが、教会はありません。ですから、この「つのぶえジャーナル」は、本当に私たちの信仰生活の支えになっています。教員仲間や広島の教会の人に、自称「島の観光大使」?になろうと妻と話しています。 鹿児島県 K・Yさん
✬ おばあちゃん子の娘の所に真新しいランドセルが届き毎日背負ってはしゃぎまわっています。病弱の娘も、神様のお守りと病院の小児病棟の先生や看護師さん方に支えられて新一年生になれそうです。入退院を繰り返しの今までで、夫と信じられない…の言葉が日常会話の中に何度も出てきます。その度にテーブルの上にあるテッシュの減り方がはんぱないです。主人と二人ですから…。教会の皆さんにも感謝しています。 福岡県 R・Iさん
✬ 若い職員が2名も入ってくれそうです。私たちの平均年齢はだんだん上がってきているので、本当にうれしいです。面接の時から感じたことですが、介護施設で働こうという意欲やスキルを身に着けているのに驚きます。ですから、最初から頑張り過ぎて腰を痛めたりしないようにと、先輩?職員として見守って育てていきたいよね、と職員会で話し合っています。将来、結婚しても大丈夫なように、体制を整えています。後は国の政策次第です。地元に帰って、国会議員の皆さん、どうぞ地域の施設巡りを是非ともして下さい。国民は見て評価しますよ。 山形県 S・Aさん
✬ 大手スーパーで働いて14年目になしました。非正規から3年前に正社員になりました。子供の学費をと始めた初めての仕事、人に声をかけられない性格でしたが、今では大声を出していますし、商品管理もできるようになりました。これからも健康が許す限り、老後のために働きます。今のところは忙しく動き回り、一応、事務の仕事もできています。苦手はカラオケとお酒ですが、もう皆さん声をかけてきません。それでも人間関係は悪くはないですよ。皆さんの理解でね。パソコンは仕事を終えて、食事などの片付けを終えて、お風呂から出た後のお楽しみタイムで「ジャーナル」を何度も読み返し、「ひととき、眸の皆さんのことをお祈りして」寝床に入ったら、目覚ましが鳴るまで寝ています。喘息もちですから定期的に世話になっている先生の所に行く程度で済んでいます。先生から、今の生活リズムを守ってくださいと笑顔で言ってくださるのがうれしいです。主人も元気です。お腹はお互い様で出てしまいましたが…。 神奈川県 K・Uさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」