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「今月のことば」
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
=マタイ16:26=
私たちが認めなければないことは数多くあります。克服しなければならない事柄もあります。その一つに差別と貧困があります。このどれもが人間の罪、負債として私たちの心に宿しています。
イエスは人間を高く評価します。主は一人の人間と全世界とを比較します。そして、全世界を一人の人間の魂の価値よりも低いとします。人が全世界を得ても、魂を失うならば、全てを失うことであると。
それほど高く人の魂を評価なさるのです。この事実を再確認することは大切です。
このように大切な宝を授けられている人間とは何でありましょう。人は命や魂をどう値踏みしているでしょうか。多くの人は自分たちが魂を持っていることをほとんど忘れているし、ある人々は、魂はないとさえ主張します。魂はあると信じる人々の中の極く小さい群れのみが、この永遠の魂を正しく評価しているのです。数知れぬ人々はその唯一の生命を、魂を粉々に引き裂き、砕き、殺す者の前に引き出されています。サタンと神を恐れぬ人々の世界は、魂を打ち壊す様々なつまらないものと意味のないもので世の中を満たします。欲望は魂を亡きものにします。
人間らしく、自由に生きようではないか…。これがこの世の叫びの合唱です。魂なんか忘れよ。審判なんか恐れるな。今を楽しく自由に自分らしく生きることこそ神の御心だと叫ぶのです。
しかし、永遠を知っておられる主、魂の値打ちを知っておられるのは主イエス・キリストです。「永遠に救われる幸い」「永遠に失われる滅び」を知っておられる主は、私たちの魂について、絶対的に異なるお考えを持っておられる方です。「失われた」というのは「おいでなさい」という言葉の決して聞かれぬところ、「時の刻まれぬところ」「日の沈まぬところ」「朝の明けないところ」で、そこに「失われる」があるのです。
もし私たちが魂を失うならば、全てが失われるのです。私たちの進むべき道は、「悔い改めて、全き救いを与え、生命の永遠の光の中に連れていってくださる主イエス・キリストに、全てを捧げ、生きる決心をすることです。
すべての快楽と共に虚しき世よ去れ、
その喜びをわが目より取りされ。
この都こそその誘惑の宝にて、
もはやわが魂はたのしまじ。
この世よ、そのたぐいまれなる恵みを探し求めよ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」