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世田谷通信(199)
猫草
萌芽更新という言葉がある。ほうがこうしん、と読む。「ぼうがこうしん」でもいいが、濁ると語感が悪いので、前者にする。何かというと、まだ若い元気な木を伐って、再生させること。こう書くと、どうして元気な木を伐るんだ、かわいそうじゃないか!と急に怒る人がいるのでびっくりする。木は適当な時期に伐った方が良いのだ。木のため、森のため、他の植物やその周辺の生きもの全部のためにも。もちろん、山ごと全部伐って荒れ地にするのではない。その逆で、はげ山にしてしまった反省を踏まえて、ちゃんと木の状態をみて、適切な時期に、1本ずつ慎重に伐る。
確かに、木が切り株だけになると空間がすっぽり空いて、寒々しく見える。樹液があふれるのを、泣いているみたいと擬人化する気持ちも分からなくはない。でも若い木の生命力はすごい。樹液が出るのは元気な証拠、半年もすれば脇からどんどん細い枝が育つ。切り株だったのがあっという間に若枝に覆われる。その細い枝も剪定する。メインの幹とサブを残すのだ。それが適度な大きさに育てば10年から15年周期で伐ると良いと言われている。
伐った枝や幹も無駄にはしない。太い部分はベンチに、中ぐらいの幹は椎茸のホダ木に、細いのは薪にする。もっと細い小枝や葉っぱは一カ所に集めて積み重ねておくとインセクトホテル、虫の宿になる。そこは新たな生きものの隠れ家や住み処になるのだ。
伐った後は地面に光が入る。埋まっていた種子が発芽し、新しい草花が育ち、花や樹液には虫が集まる。その虫を狙う小動物が来る。多様な生きものが増えて、複雑な循環が始まる。朽ち木は様々な菌や虫たちがせっせと分解し、やがて土に還り、土壌を豊かにする。多様な微生物によってふかふかになった土からは思いがけない新しい芽が出る。その絶え間ない繰り返しこそが生物多様性だと思う。
新型ウィルスというが、既知のウィルスはほんのわずかなこと。菌、微生物、ウィルスに関しては、わかっていないことの方が圧倒的に多い。何がきっかけでよくなるか悪くなるか専門家にも予測できないならば、できるだけ多様な可能性を残そう、色々な条件の環境を守ろう。目に見えない小さな生き物が生息できる住処を増やそう。
もちろん不潔で不衛生は論外だが、一方で消毒された環境は脆弱でもある。良いものも悪いものも日和見もすべてなくしたらバランスがとれない。画一的で過剰な反応がいつまで続くのか、次世代の解決策や特効薬が見つかるかもしれない可能性までも知らず知らずのうちに握りつぶしてはいないか。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」