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「今月のことば」
イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは、「ありません」と答えた。・・・イエスは彼らに言われた、さあ、朝の食事をしなさい」。
=ヨハネ12:5,12=
聖書の記事や出来事には、神の主権と限りない愛が記され、希望へと導く出来事に満ち満ちた記録の書、喜びの書と言えます。その一つ一つから、どれほどイエスはご自分を救い主と信じた者たちを愛してくださったかがわかります。
イエスは墓のそばでマリヤに会い、涙をぬぐっておやりになります。主を知らないと断言したペテロに、特別な言葉をおかけになっています。神の言葉を忘れた弟子たちと共に、長い道を何度も何度も一緒に歩いて聖書を解き明かしてくださいます。
また悲しみと恐れにこころを閉ざした弟子たちの真ん中に立たれ「安かれ」と言われます。夜が明けたころ、海辺に行かれ、薪を集め、火を燃やして、その友のために食事を用意なさいます。
よみがえり、栄光を受けられた救い主が、そのようなことをなさるのを見るのは、驚くべきことではないでしょうか。これらをイエスの愛として嬉しく、また有り難く感じないで、見過ごすことができるでしょうか。
今は物にあふれ、何の不自由もなく、今を生きている人々もおります。同時に、病と飢えと不安の中にある人々の方が圧倒的に多いのも現実です。霊的な闇や悩みに迷い込むことが、如何に悲惨であるかを知っている人に、私たちキリスト者は何を語り、何をわかり合うかを、今一度、振り返ってみることは決して無駄なことではないでしょう。もし、そのような心が失せ、信仰が小さくなっているとしたら、それはコロナウイルスの禍のように世界は暗い闇になってしまいます。
日常の常識や良心は崩れ去り、大切なものを見失い、与えられていた光と幸いを自らこの世的な損得や幸いを得るために捨て去ってしまったのであるならば、もう一度「あなたの隣人を愛し、支え合いましょう」。
問うてみましょう。今、失いかけているもの、それは、主イエス・キリストと共に、信仰と平和を失い、主イエスの示された救いの道がふさがれていないかどうかを・・・。もし、そのことに気付きたいと思うなら、今一度、主イエスがお語りになり、そして歩人になさったことを、み言葉から、イエスの歩まれたその歩みを、語られた言葉を学び返し、感動し、涙する心と信仰を願い求めるなら、必ずよきもので満たして、力なき者に力を与えくださいます。
小さな善意、心優しい我慢、ほしいと思うマスクやトイレットペーパーの二つを一つにして、他の人にお譲りする心の優しさは「共に喜び、支え合う心と生活」の「共生人」なる人間でありたいと思います。
主イエスよ、われは貧し、
旅人にして、巡礼者なり。
この世の富の欠ける身は、 主こそ、わがたすけなり。
イエスよ、われをあいして
わが道に、われを励まし
ためらうわが歩みを導き、わが力、わがよりどころとなり給え。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」