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「キリスト教百話」
問27 キリスト教はイエス・キリストを信じるという点では一つであると思いますが、いくつもの教派に分かれているのはどうしてですか。
答
おっしゃるように、キリスト教と称されるものにおいては「使徒信条」という、信仰内容を凝縮したものがありまして、この内容を共通のものとしている点では違いはありません。しかし、キリスト教が次第に広がっていくにつれて、それを受け入れた民族の伝統との関連などによって、様々な変容がなされるに至りました。その一つは東西両教会の分裂のことであります。東へ広まって行ったキリスト教会は、東方教会と呼ばれますが、その中心はコンスターチノーブル(いまのイスタンブール)を中心とする集団となりました。
一方、西方に伝えられたキリスト教は、ローマを中心として西方教会と呼ばれていました。これがはっきり分裂したのは11世紀であり、それ以来「正教会」(オーソドックスチャーチ)と自称し、ギリシャ正教会、ロシア正教会となりました。このロシア正教会が日本に伝道して出来たのが東京のニコライ堂を中心とするハリストス(キリストのロシア語による発音)正教会であり、イコン(聖画像)を掲げるのが特徴であります。
西方教会はローマ・カトリック(普遍性)教会と自称し、ローマ帝国の進展に伴って西欧に広がりました。日本に最初に伝道をしたのはこの教会でありまして「天主公教会」と自称し、この信徒は「キリシタン」(クリスチャンの意、切支丹)と呼ばれました。この教会はローマの法王を持つバチカン市国を形成していることと、ローマ教皇を権威の頂点としているところに特徴があります。
16世紀に英国王ヘンリー8世の結婚がローマ・カトリック教会によって無効の宣言が発せられたのを機に英国の教会は自立宣言をして「英国教会」となり、これが国外に伝道されて「聖公会」(聖なる公同の教会の意)を自称し「日本聖公会」を造り、立教大学や聖ルカ病院や学校の経営にも力を注いでいました。
同じく16世紀にドイツの修道士マルチン・ルターが信仰に関する公開質問状を張り出したことによって起こされたのが宗教改革(リフォーメイション)と呼ばれることでありまして、この結果プロテスタント教会と呼ばれる教会が生まれました。ローマ・カトリック教会を旧教と呼び、プロテスタント教会を新教と呼ぶのは、この出現の時期に関してのことでありであります。
プロテスタントというのは「抗議者」の意でありまして、ドイツにおける改革運動に対して、国会の多数派を占めるカトリック派の絶対多数派が改革阻止を決議したのに対して、改革推進派の少数が抗議したことによって、この人たちが「抗議者」と呼ばれたことに発しています。これがルターと同じく改革の路線にある者の総称となったわけです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」