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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・29・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
13 20世紀に・・3・・
マカルピン師の伝道に東濃(岐阜県の東美濃)の地は魅力があった。山深い中津川、そして徒歩でしか行くことの出来ない黒川村など、そこに住む進歩的な人々との語らいは興味があった。すでに明治35年12月、中津川まで鉄道が開通していたので、マカルピン師の伝道も便利になった。
明治39年春、44歳の誕生日を迎えて、その3月、中津川地方で大人2名、小児2名洗礼をさずけ、さらに10名が試問の上、洗礼を受けるはずであった。中津川から大井を経て、それから20キロメートルを徒歩し、蛭川の遠ケ根峠を越えた加茂郡黒川村では、3年前の(1903)6月30日に、旅宿奈葉屋で最初の信徒藤井和次郎がマカルピン師から受洗した。
続いて1905年(明治38)5月4日には、藤井千代、楯 エツ、藤井浅太郎が受洗した。さらに、明治41年1月には、マカルピン師に導かれた藤井伸一(現参議院議員藤井丙午の父)、藤井銀三郎が受洗している。
祈り、忍耐、熱心による伝道が、神道一本槍の寺のない村に福音の種の芽を成長させたのである。坂下町の曽我一家が入信してマカルピン師の世話になり、坂下教会(現日本基督教団坂下教会)の基となったのもこの頃である。
この年、バラ先生はラトガス大学から神学博士の学位を受けられた。一ケ年休暇を得て帰米された。この夏の8月23日、軽井沢の避暑地で北メソジスト教会の宣教師フランク・H・スミス氏の夫人は、ポーリン・ヘロン・スミス嬢を出産した。これが後のJ・A・マカルピン夫人のミセス・ポーリン・マカルピンさんである。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」