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世田谷通信(200)
猫草
学校には図書室がある。そう法律で決まっているのだ。昭和28年に「学校図書館法」が制定された。その第一条は「この法律は、学校図書館が学校教育において欠くことのできない基礎的な設備であることにかんがみ、その健全な発達を図り、もって学校教育を充実することを目的とする」である。サンフランシスコ平和条約の翌年、まだ戦後の混乱と混沌の中で、学校教育の基礎的な設備として図書室が位置づけられた意味を今一度考えたいところである。偏った情報統制や一部の特権階級しか知識にアクセスできない社会は自らの誤りを正せない。それは戦時中、意図的に歪曲された情報やそれを是とする状況があったからだ。終戦後にその情報操作が白日の下にさらされ、多くの大切なものを失い、辛くも生き残った人たちの歯噛みするような悔しさがあったと思う。戦後すぐにその改善策を教育と図書室に求めた、決意のような思いを感じる条文である。
とはいうものの理想と現実はなかなか折り合いがつかないのも事実ではある。今から15年前、長男が小学校に入学した時、校内を回って、図書室を探した。それは校舎3階にあった。背の高い書棚が並び、電気は消えて鍵がかかっていた。中は暗くてよく見えない。図書室と言うより書庫だった。司書にあたる人は居るが、他の学校と兼務で2ヶ月に1回来るのだという。基本的に無人なので、授業や調べ物の時に先生が鍵を開けて使う場所だった。ん?図書室ってそういうものでしたっけ・・。
疑問を抱きつつ、長男が4年生になったとき、学校から図書ボランティアを募る話があった。最初は朝の読み聞かせ充実と、廃校から大量の寄贈を受けた本の整理などだった。何かできることがあればと参加して、驚いた。蔵書目録がないのである。何年に何を買ったという図書原簿はある。しかし現在どこにどの本がどういう状態で何冊あるかがわからない状態。やっぱりこれは図書室ではなくて倉庫だ、と思った。
その後副校長先生より、中休みや昼休みに毎日子どもたちが利用できるように図書室を開けたいと話があり、図書事務としての勤務が始まった。電算化も進み、蔵書はデータベース化された。数年前より学校にも民営化の流れが来て、給食、警備、主事、司書も外部委託となった。平成26年に「学校図書館法」が改正され、「学校司書」の配置が法律で位置づけられたことも、大きな転換点と言えるだろう。さて、これからの学校図書館とはどんなふうになっていくのだろうか。
まずは学校が再開されるのを、今はただ静かに待つしかない。
:里山農園のチューリップと六条大麦の写真もよければ使ってください。チューリップ写真は縦長だったので横長にトリミングしましたがどうでしょう?
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」