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第95課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・52・・・
G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。
・・・15:1~13・・・1・・・
「わたしは言うキリストは神の真実を明らかにするために、割礼ある者のしもべとなられた。それは父祖たちの受けた約束を保証するとともに、」(8節)
「ここでパウロはキリストがどのようにして読者たちを受け入れて下さったかを示そうと意図している。キリストが来られたのは、ユダヤ人に仕えるためであり(8節)、また異邦人たちをも神を崇めさせるためでもあったのである(9節)」。(ホッジ)
ローマにある教会はこれら二つの階層の人々によって成立していた。キリストはこれらの二つの階層の両方ともを受け入れられたことを示そうとするのである。
「割礼ある者のしもべ」という表現は、「ユダヤ人のところへ遣わされたしもべ」という意味である。「神の真実を明らかにするために」というのは「約束を果たすことに於いて、神が真実であられることを主張するために」の意味である。
「神の真実」というのは、神の「誠実」、神の「忠実」ということである。キリストは主、あるいは支配者としてではなく、「神の恵みの約束を成就するために、へりくだったユダヤ人のしもべとして来られたことによって、その最も大いなる謙虚とあわれみとを示されたのである。そのあわれみはユダヤ人にのみ限定されるのではなく、異邦人もまたその王国に受け入れられ、そして同じ条件でユダヤ人たちに結び付けられたのである。
キリストがこのようになさったことは、ローマの教会の人々にとって、手本であり模範であって、彼らはこれにならってユダヤ人も異邦人も互いに友情と友愛を養わねばならないことを強く教えられているのである」(ホッジ)。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」