[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
十戒と主の祈り・・・11・・・ 鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=姦淫=
第七戒⑤・同性愛
創世記2:21~24、レビ18:22~23、ローマ1:26~27
1960年代という時期は世界的に人権問題がクローズアップされた時代で、家庭や社会の差別が問題にされました。人権を守ることは必要なことであり、正しいことですが、聖書に基づくキリスト教の家庭倫理や社会倫理に対する挑戦にもなりました。同性愛者の家庭や社会における権利も刺その一つです。アメリカのある教会のオルガニストが同性愛者であることを理由に解雇されたことが裁判で争われました。
同性愛を擁護する人々は、大まかに二つの理由を挙げます。その第一は、聖書の教えは当時の歴史の中で生まれたことであって、歴史的に現代とは違うから、そこでの命令は今の私たちに通用しない、という考え方です。これは一理あるのです。例えば、旧約聖書では姦淫は死刑でした。しかし、主イエスは姦淫の女を赦されました。理由は、旧約時代には、肉によるイスラエルが神の民でしたから、律法違反には厳しいさばきが課せられました。主が来られてからは、信仰による霊のイスラエルが神の民ですから、そうでない人への裁きには悔い改めの機会が残されたため、緩やかでした。
第二に主張される理由は、倫理の最高は愛であるから、愛があれば、同性愛でも赦される、という主張です。禁じられているのは、宗教儀式や姦淫としての同性愛であって、愛と誠実があれば、つまり相手を変えなければ、聖書は罪としていないと考えるのです。ですから、今ではオランダ改革派教会(大会派)は、同性愛の教会役員を認めています。
アメリカ合衆国長老教会は、教会としてこれまで数度、同性愛者の教会役員を認めることを過半数の賛成で決定しました。しかし、3分の2以上の中会の採決では賛成を得られずに否決されています。賛成している中会は、教師の任職の面接で、賛成しない教師候補者を教師に推薦しないようです。
2003年6月の総会は、議長に賛成派の女性を選びました。
これに対して、これまでのように、一人の男と一人の女との結婚は神の創造の秩序であり、同性愛は明らかに神の意志に逆らうことであると考える立場は、同性愛を認めることが人に罪を犯させることであると考えます。しかし 、同性愛の傾向を持つ人の存在を否定するわけではありません。
この問題の難しさは、聖書の権威は神の言葉である聖書自身にあり、解釈も聖書から来るということと、「歴史的、文献的に聖書を調べ解釈すべき」ということとの関係です。これは、現在の女性の教師・長老問題と共通する性質を持っていますから、問題に対する立場の違いが生ずれば、改革派教会の将来は様々な点で、現在とはかなり違ったものになることでしょう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」