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世田谷通信(201)
猫草
球根や種というのはつくづく不思議な存在だと思う。冷暗所なら休眠状態を長期間続けられ、発芽できる環境が整ったらプログラムが発動する仕組みである。
そこには休眠打破のきっかけになる条件や複雑な化学物質が連鎖的に反応している。あらかじめ「自分がちゃんと育つ安全な環境」と「過酷すぎて育たない環境」があることを知っている。いや、その対応力のある種が生き残ってきたというべきか。
チューリップが良い例だと思う。原種系チューリップは植えっぱなしでよい。環境に適応することを優先して、丈は低く、花も小ぶりで地味だ。何もしなくても毎年時期が来れば芽を出して成長しそっと花をつける。
園芸品種はそうはいかない。丈の高い華やかな花は、咲き終わったら、茎や葉を切り、追肥して球根に栄養を与え、一度掘り返して保管し、再度植え直すプロセスが必要となる。人の手が加わることを前提として作られている。
それを品種改良と呼ぶのは人間側の主観だ。人を楽しませるために観賞用の植物を成立させるのも、多様性の一つだと思う。植物は命をつなげるのが目的で、昆虫や動物や風、雨、さらに人間も含めて利用しているといえよう。
さて近所の里山農園で、年末にボランティアが植えたチューリップの球根、ちゃんと春に見ごろを迎えた。活動休止・自粛で訪れる人は少ないが、植物は気にしない。
ちなみに球根には膨らんだ方と平らな方がある。平らな方を手前に植えると茎がきれいにそろうのです、と指導役のガーデナーさんが教えてくれた。植え時を少し逃し、廃棄寸前をタダでもらってきた球根だとか。「まあ植える時期とか言いますけどね、植えたらなんとかなります、ならないこともあるけど。」とそのガーデナーさんは言った。コロンと固い球根が、土に埋められ水を得て、芽を出し、花をつける、その真っ直ぐな成長に迷いはない。六条大麦もさわ、さわと風に揺れていた。ちょうど良い背丈なので、数人の小学生がかくれんぼをして遊んでいた。
人の思惑はあれこれと動揺するが、麦は鮮やかな緑から、やがて頭を垂れて金色に熟すだろう。収穫して麦茶を頂く季節にはこの事態が落ち着いていますように。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」