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第95課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・52・・・
G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。
・・・15:1~13・・・2・・・
「異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである」。「それゆえ、わたしたちは異邦人の中であなたに讃美をささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである」(9節)。
それによって異邦人が神を崇めるようになる神の憐みは、キリストによる救いの恵みのことであって、それにすべての恵みと祝福が伴うのである。一言で言えば、異邦人たちに神を知らぬ状態、神の国は無関係の状態から変化させて、神の国の民とならせてくださった神の憐みを言っているのである。キリストは贖いの業によって、二つのことを成就して下さった。すなわち、第一に父祖たちの受けた約束を成就することによって神の真実を維持された。第二にキリストは異邦人たちを御国に入らせて、彼らも神の憐みを受けて、神をたたえ崇めるようにされたのである。
「それゆえ、わたしは異邦人の中であなたに讃美をささげ、また、御名をほめ歌う」(9節b)。
これは詩編の18:49の引用である。それは真の神を知り、礼拝することが、未来において異邦人にまで拡大されることを宣べた、多くの旧約の聖句の一つである。詩編18:49において歌っているのはダビデである。ダビデは、神に讃美を捧げている異邦人たちに取り囲まれている自分を考えているのである。そしてこのことは、彼らが神の礼拝者であるという意味なのである。
「また、こう言っている、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』」(10節)。これは70人訳聖書(ギリシャ語訳旧約)による申命記32:48の引用である。そして詩編67:35がほとんどこれと同じである。
「また、『すべての異邦人よ、主をほめまつれ、もろもろの民よ、主をほめたたえよ』」(11節)。これは詩編117:1の引用である。
「またイザヤは言っている。「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」(12節)。
これはイザヤ書11:1、10の引用である。イザヤのこの言葉は極めて明瞭に、また決定的に来るべきメシヤは、ユダヤ人のみならず、異邦人の上にも臨まれることを述べている。パウロの引用は70人訳旧約からなされている。何故ならば、意味においてはヘブル語原文とあまり違いはない。「イザヤの約束は、腐敗して滅びたダビデの家より、一人の人物が起こり、その支配はすべての民を含み、ユダヤ人のみでなく、異邦人も彼に依り頼むことになるということである。この預言を成就するためにキリストが来られ、近くに、あるいは遠くにある人々に救いを宣べ伝えられたのである。二つの部類の人々がともに、このへりくだった救い主によって、あわれみのうちに受け入れられ、一つの集団の中に結合されたのである。だから、彼らは互いに裁いたりせず、また争うことを避けなければならないのである」(ホッジ)。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」