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バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・3・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
15 明治末期の伝道・・1・・
女婿のマカルピン師も、義父バラ先生に劣らぬ宣教の活動に忙しかった。同じく11月22日には、高知県幡多郡下田町の青年会の招きで特別集会が催され、肌寒い雨の中を100余名の来会者があった。筆者も昭和8年から15年までの8年間、中村町に赴任して、この下田町に毎月2回自転車で伝道したのであるが、俊寛が島流しにあったような、太平洋の荒波に面した小さな部落で、地の果てに来たような淋しいところであった。
すでに明治の末期、この見捨てられたような土地にも、福音がマカルピン師によって伝えられていたのに驚いた。交通の発達した今日にはもう見ることの出来ない伝道精神に、こころをうたれるものがある。続いて23日、24日は中村町でマカルピン師と青木仲英師の講演会があり、こどもたちも100人あまり集まった。
1908年(明治41)から翌1909年(明治42)にかけてマカルピン師の宣教の片鱗を記してみよう。
1908年 2月10日 岡崎劇場にて集会
3月21日 日本基督金城教会伝道、教会献堂式に出席祝祷
3月27日 津島劇場にて集会 200余名
5月 7日 瀬戸集会にて路傍伝道集会
1910年(明治43)開催の名古屋築城300年記念及関西府県聯合共進会を機会に、市内キリスト教8派協同一致天幕伝道を90日連続の集会を持つため、予算1000円を計上し、委員長、関沢義之氏、会計担当マカルピン師、実行委員長、吉川逸之助教師が事に当たった。
1908年9月21日、神戸神学校始業式(新入生8名)、マカルピン師出席祝祷をなす。同10月27日、28日、愛岐教職者会を瀬戸永泉教会で開催し、夜はマカルピン師「罪の性質とその救済」について説教、会衆50名。
1909年5月、岐阜の中学校(旧制)5年生のため毎週水曜日マカルピン師が名古屋より出張し、バイブルクラスを開く。
以上のように愛岐地区は、キリスト教にとって未開拓の石地のような土地であったが、あらゆる機会を活用して、聖書を、キリストを求め祈り、熱心に教え導いたマカルピン師の伝道の労苦は今日の教会形成を成し遂げるための大きな礎であった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」