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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(171)
5月15日
薄雲に覆われている山添村です。燕のひなたちが元気よく育ち、二回目の卵が温められているようです。朝の目覚めはツバメのさえずりで目が覚めます。自然豊かな山添村で生活できていることに心から感謝しています。
さえずりに始まる杣の一日かな。
山の上にほんのり登る朧月。
大地読み続けて春を惜しみけり。
渕緑川浪白く夏めきぬ。
夕づつも月も出てをる五月かな。 馬塲路哉
5月も折り返し点に来ました。コロナで振り回されています。まだまだ第2波、第3波に脅かされるのでしょうか。
5月25日
蒸し暑くなっています。教会の礼拝も今までのように一緒に集まっての礼拝はこの時期だけは考え、見直す必要があるのかもしれませんね。オンライン礼拝が行われていますが、パソコンが苦手なものには文書伝道という形に礼拝できます。その時々の対応で今を迎えていることでしょう。
ゆかしさよかつて農家の桐の花。
樫切って五月の空の明るかり。
癒されぬ薔薇を読みたるリルケの詩。
餌を運ぶツバメの実にリズミカル。
夏の川朝日の低く眩しかり。 馬塲路哉
今、リハビリの散歩から主人は返ってきました。汗だくです。
5月29日
とても暑い一日となりました。昨夜のことです。野良猫のレオが3度も悲痛な声で鳴きました。これはほおっておけないと思い、外に出てみましたが、猫の姿は見られません。きっと屋根裏へでも逃げたのでしょうか。その時です。私の数メートル前を狐がぎらぎらと目を光らせて走り去りました。初めて狐を見た私です。怖くなって足が震えました。野生ですから俊敏さはたとえようがありません。今までイタチ、鹿、さるは目の前を走っていくのを見たことがありましたが、狐は初めてです。裏山のタケノコもすっかり食べられてしまいました。危険を冒してまでも人間の住む所までやってくるなんて。よほどおなかが減っていたのでしょうね。世の生き物たちが必死で生き延びようとしている姿は学ばなければなりませんね。戸締りをしっかりしなければとあちこち開け放っているところを点検して回りました。
偲びもす農家の昔桐の花。
五嶋みどりバッハを奏づ聖五月。(友からCDが送られてきました。)
過疎進む古き杜なる椎の花。
柿若葉老木にして瑞々し。 馬塲路哉
毎日日中は30度近くまで気温が上がります。マスクを着用しての散歩はかなりきついです。ラジオから流れるマスクをつけての激しい運動には気を付けましょうの声で誰もいない山の道ですから帰りはマスクを外してしまう私です。
6月1日
いよいよ6月です。学校も動き始めました。2か月遅れの始業式ですね。子供たちの中には生活のリズムが整わなくてスムーズに一歩を踏み出せずに苦しんでいる子供たちがいることでしょう。私はどうしても長いお休みの後は苦手でした。
代々の石碑に撒きぬ除草剤。(草を刈るのが大変な年齢になってきました。)
夏の川弧を描きをり慰霊の碑。
過疎進む古き杜なる椎の花。
一陣の風おほでまり吹雪けり。
藤の花肩の力を抜くべしと。 馬塲路哉
70歳から80歳までの高齢者たちが毎月、お掃除のボランティアをしています。
中には来るだけが精一杯で何もできずに帰ってしまう人もいます。それでも来てくれてそばで見てくれているだけで励まされます。人間って不思議なものですね。そばにいてもらうだけで、元気がもらえるのですから。
6月7日
朝からとても暑くなってきましたが、村中の高齢者も、若者も、一軒に一人が草刈り機をもって、道や土手の草刈りの「出会い」です。最高齢者で80歳です。それ以上になるとやはりこの暑さの中での草刈りは無理なようです。都会に出られた息子さんが帰ってきたり、近くにいる親せきが手伝ったりということになります。来週もあります。田舎に住んでいるとこうした草刈りの「出会い」が大変です。でもみんなの力で2時間ほどでとてもきれいに草が刈り取られていきました。
朝ツバメやる気満々鳴きかわす。
朝霧のゆるりよぎる山若葉。
チョコ色に光るもありて樫若葉。
棕櫚の花傘添へらるる姿かな。
五月雨は加太の山を隠しけり。 馬塲路哉
我が家も蚊取り線香の出番がやってきました。それに蟻の行列が台所のあちこちで見かけるようになり、かわいそうなのですが、殺虫剤を吹きかけてしまう私です。
6月16日
今日も一日暑くなりそうです。息子は対面でのやり取り以外はマスクを外してもよいとの指示が出たと喜んで出かけました。マスクをしての肉体労働は蒸れてきて大変なようです。書留、小包があれば対面になりますから、マスクを着用しなければならないので時間的には遅れがちになるというのです。今は一人一人にGPSという機械が取り付けられ、どこで何をしているか今どのようなものを配達しているかを掌握できるようになっているというのです。良いように考えれば何かあった時にはすぐに助けに来てもらえるのでしょうが、あまりにも拘束されすぎてしんどいですね。時代の流れですからそのような動きにも順応していかなければならないのでしょう。息子の顔も日ごとにたくましく日焼けで真っ黒です。
明けむとす山峡渡るホトトギス。(ホトトギスの声で目が覚めます。)
咲かせもす都忘れや雛住まひ。
一所日差しを避けて雪の下。
草引けば一隅と言へ明るかり。
朝の間に道草を刈る鄙暮らし。(午前中は何とか草を刈る元気があります。) 馬塲路哉
田舎では今、どんどん大きくなる草との戦いです。皆さん、朝早くから草刈り機の使える方はブーンブーンと音を立てながら頑張っています。その音を聞くと皆じっとしていられなくなり、草刈り機の大合唱になります。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」