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「小閑記」
イスラエルよ、あなたはしあわせである。だれがあなたのように、主に救われた民があったであろうか。
主はあなたを助ける盾、あなたの威光のつるぎ。
=申命記33:29=
人がもし自分の生涯を、神を知り、信じ、正しい角度から見るならば、人は常に悩みなく、幸福で、感謝に満たされることでしょう。その存在は世の人々が恐れて震える神はなく、キリスト者の最良の友であります。他の人は審判の下に、その悲しみと傷とに絶え、来るべきことを恐れる時、神の子供(信仰者)は、救い主であり、父としての神のもとに行きます。そこでは人の傷は癒され、罪は赦され、裁きは取り去られ、そして痛みは鎮められます。
戦いにおいて、キリスト者には鋼鉄よりも強い神の守りの約束があり、神の言葉を鋭い剣のようにして敵に立ち向かうことができます。神はわたしたちを助ける盾、わたしたちの威光の剣であります。
わたしたちはすべての重荷を主に負っていただくことができます。なぜなら、主は「すべての思い煩いはわたしに負わせなさい。わたしが引き受けよう」と言われました。わたしたちを煩わせることは、どんなに小さくても、主にとって引き受ける値打ちがないほど、小さくはありません。
主にある者は、神の全能と、永久の知恵は、死よりも強い愛によって支えられているのです。そして主は、この愛をすべてわたしたちのための犠牲(贖いの代価)としてお与えになりました。このことを考えれば、「主を救い主として持つ者は幸いである」と言えないでしょうか。そのお方こそ強き盾、鋭い剣でいらっしゃいます。
わたしたちは、すべての事を主のみ手にお任せいたしましょう。主は、今までも、そしてこれからも同じくお守りくださいます。
わが希望のもとなる、恵みの主、
憐み深き、贖いのみ力に より頼みまつれば、救いを賜え。
み守りあれば、われはうごかじ。
み言葉は堅固にして、み誓いは確かなれば、
われなんじにより頼む。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」