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「今月のことば」
キリストは御子として、神の家を治めるために忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇りとを最後までしっかり持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。
=へブル3:6=
これからの天気予報で気になるのが、異常な暑さの数字です。真夏の太陽は容赦なく私たちの生活に、健康に、そして思いもしない新型コロナウイルス禍で疲れ果てた心に襲いかかるかのような暑い日々が続いています。
「つのぶえジャーナル」をご覧くださるお一人、お一人が、神様のお守りを頂きお過ごしになられますように、お祈りいたします。
「今月のことば」の中には、いろいろのことがありますが、その中でも記憶しておくべき二つのことがあります。
その一つは、神様の愛とご計画によって救いの恵みの中にある一人、一人は、「神の家」であるということです。不思議なことですが、真実です。それは、神はその一人、一人の信仰者の民の中にお住みになるというのです。神は天にいますように、み言葉のも中にいますように、神は救われた私たち罪人の中にも、住まれるというのです。
「あなたがたは神の宮であって、神のみ霊が自分のうちに宿っていることを知らないのですか」「父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、皆の者が一つになるためであります」という事実の中に示されています。キリスト者に、霊的孤独などあってはいけません。心から「主にある霊的交わり」に感謝したいものです。
神のご存在は、近づきがたい光の中に住みたもう主、すべての天を所有したもう主は、イエスのみ名を信じる人々と共に住みたもうお方なのです。
同時に、覚えなければならないことは「望みの確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら」であります。この信仰と熱心を祈り求めるならば、神様の方からは離れ去ることは、絶対にあり得ないということです。
わたしたちが信仰を捨て、神に頼ることをやめるならば、もはやわたしたちは神の宮ではありません。もし、わたしたちが主より離れるならば、主もまた、わたしたちから離れます。もし、キリスト者は決して神から離れ去ることはないという、誤った思いで自分を思う者は、このことをしっかりと心に留めなければなりません。わたしたちは 、主から離れ、自由に振る舞いたくなる信仰弱い存在であることを決して忘れてはいけないことを、このみ言葉は教えています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」