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第96課 パウロも宣教活動とその計画
=15:14~33=
異邦人宣教師としてのパウロの働き・・1・・
・・・15:14~21・・・1・・・
パウロはローマ人への手紙が終りに近づくにつれて、キリスト信者としての立場と性格についての確信を、読者に確認させようと努めている。そして更に異邦人への伝道者としての彼の働きについて語る。そして将来の活動についての計画と目標も語ろうとしている。
「さて、わたしの兄弟たちよ、あなた方自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互い訓戒し合う力のあることをわたしは堅く信じている」(14節)
もちろん、この言葉はローマにいるキリスト信者たちが、キリストを通して与えられる神の恵みによって、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互いに訓戒し合う力のあることを意味しているのである。パウロは彼らがキリストを離れても、彼ら自身の中に善意に満ちていることがありうると言おうとしているのではない。
何故かと言えば、それはこの書簡の初めの部分の教え全体に矛盾するからである。パウロが彼らのことを「兄弟」、すなわちキリスト者として書いていることに注意したい。
彼らが善意にあふれていると言われることが出来るのは、彼らはキリスト者であるからだ。ここで言われている善意と言うのは、聖霊による聖化の恵みによって、彼らの生活の中に生み出される善意なのである。
現代社会において、このような善意が何ゆえに乏しくなりつつあるかに注意したい。しかし、パウロは彼らが善意にあふれていることより、さらにあらゆる知恵に満たされて、「互いに訓戒し合う力のあることを、かたく信じている」と述べていることに特に注目したい。
キリスト信者はその罪の咎を赦され義とされているが、罪に汚れた人間は依然として残存している。従って罪の行為を犯すことが不断にありうるのである。日々、神のみ許しを願いつつ生活しなくてはならない。キリスト信者たちは相互に善意に溢れつつ、戒め合い、勧めあって、ともに神に喜ばれる道を進むことができる力があると、パウロは堅く信じている。ここに教会の規律・戒規・訓練の根拠があるのである。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」